精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

楽観もせず、悲観もせず、ひたすら観察を続ければ、いずれ心穏やかなり。

記事を読むとバリバリに伝わるが、僕は神経症傾向が強い。不安や悲観が恐怖の域にまで簡単に増幅し、それで頭がいっぱいになることなんてしょっちゅうだ。

 

いい加減これを制御したいと考えており、ではそのために何をすればいいのかを改めて調べ直して、そして今は結論として、中断していた瞑想という習慣を復活させている。


ちょっと前までは、瞑想を毎日20分やるというそれなりにガチな日課があり、それをしていた頃は色々と平穏無事だったのを思い出したからだ。

 

脳内の独り言に耳を貸さない。楽観もしない。悲観もしない。気が反れたと思ったら、再び呼吸に意識を向ける。それを既定の時間、繰り返す。

 

これを繰り返し、上手く深い集中に入れた時には、エクスタシー的な意味ではなく、すごく気持ちがいい。気が晴れる。大袈裟だが、それこそ病みつきになるほどだ。

 

ということで今日は、ストレスに晒されがちな教員や講師の方に向けて、この瞑想という心のトレーニングについて、僕の知見を簡単に書いておく。

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「好きこそものの上手なれ」であるシンプルな理由。 ―そして別に好きにならなくても、再現は可能っちゃ可能。

「好きこそものの上手なれ」という言葉がある。自分が好きで、やっていて楽しいことは、誰よりも長く、そして早く深く成長していくという意味だと思う。

 

実際、一部の人を除き、あらゆるスポーツなどでプロになった人たちは全員、そもそもその競技を愛している

 

愛しているからこそ、他の人から見たら意味不明な量の研鑽を積めるし、苦行としか思えないほどの修練を重ねられるのだと考えている。

 

これを理由として、例えば勉強も好きになれば爆発的に伸びるという人もいる。それについては、その通りだと思う。僕にも原体験はあるからだ。

 

しかしながら、「好き」という感情は、狙って起こすことなどできないと、僕は考えている。あくまで内発的動機だし、そもそも偶然の産物という意味合いが強いためだ。

 

だからもっと別の側面から、「好きこそものの上手なれ」という言葉を見つめてみたい。つまり、「なんで好きだと上手になるのが早いのか?」

 

今日はそういう話である。

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【英文読書ルーティン日記118】"START WITH WHY"読書感想ブログⅦ ~ファンとはなにか?~

新体制になって2週間だが、目先の仕事の処理と、今後の目標・目的の設計を同時にやっている状態なので、本当に目が回る。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

結果本気で心身が疲れ果てるため、こういう朝の読書の時間は色々と貴重だ。読みながら、その場で自問自答し、活かせるところを早速使っていく。その繰り返し。

 

そんな具合で、あくまでも僕のための備忘録になっているが、その話を書いていく。

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「知っていること」に大きな価値は無いが、無知はそもそも論外だ。

日頃から勉強を指導する側にいると、耳にタコができる、親子喧嘩のもとになるあのフレーズを、何十回と聞かされる。

 

「なんでこんな意味が無いことをせんといけんのん!!!」


―それについて、皆様は何と返されるだろうか。将来困るとかそういうことを説くだろうか。ただ、それで腑に落とせる子は、そもそも先述のような文句は言わない。

 

大人の都合・大人の観点でメリットを説いても、何一つ染み込んでいかない。このやり取りも、もう何回も経験し、重々承知している。

 

だから最近は、具体的にどうして意味が無いと感じるのか、それを一緒に言葉にしていくように話をしている。説得という観点をかなぐり捨て、ただ質問をして、聞く。

 

すると時折出てくるのが、いわゆる「知っていることに意味は無いってテレビで言ってた」という感じの発言だ。

 

一生懸命頭に教科書の内容を詰め込んでも、そんなのはスマホで検索すればすぐ出てくる時代なんだから、何の意味もない。そういうことなのだとしたら、確かに深い。

 

ではそれを踏まえて、どうするか。いいからやれと、押し付けるのか。実を言うと、話はもう少しだけ深めることが可能である。

 

今日はそういうことをつらつらと書いてみる。

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僕のそれはアマアマや。本気の「覚悟」は文字通り鬼気迫るものなんだと実感した。

「覚悟」という言葉がある。僕は「腹をくくること」といった意味で考えており、もう後には退かないと心の底から自分を納得させた心境を指すと捉えている。

 

僕自身、「この校舎は絶対に潰さない、むしろ反映させてみせる」とか、「新規問い合わせが来るまで休まず働く」といった覚悟を、自分では決めている・・つもりではある。


しかし、よく考えたら僕は、本当の覚悟を知らない。エンタメ作品の中で演者が体現した迫真のそれを見たことはあるが、それはあくまで、真に迫ったものである。

 

「この人、なんて覚悟なんだ・・」と鬼気迫るものを見たことが無い。剣道の打ち合いを見たことはあるが、真剣の斬り合いを見たことが無いのに似ている。

 

本物を知らずに、腹を決めることはできるのか。覚悟と言えば、武士として生きた人たちの生き様が頭に浮かぶが、当時は文字通り、死と殺が日常にあった頃だ。

 

そんな風に、自分は偽物のそれを抱いて悦に入っているだけではないかと晴れない気持ちがどこかにあったのだが、ついこないだ偶然、本気の「覚悟」を知ることができた。

 

それを読んだとき、僕は絶句した。文字にされたインタビューのはずなのに、そこから鬼気迫るものを感じたためだ。

 

それによって自分の覚悟の甘さを悟ったが、だが同時に、それによって自分の問いを更新することもできた。つまり「覚悟」とは、なにか。

 

今日はその興奮を記事にする。

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なかなか行動を起こせないときは、すごくしょうもない2つの原因を疑ってみよう。

やらなければならないと感じつつも、なかなか起こすことができない施策が、僕の中にもちらほら存在する。

 

最たるものは、広報活動と電話である。実際今も、ダイレクトメールを送りたいと考えて、リストまで作りながらも、発送に至ってないまま数日経ってしまった。


また、昔から電話が嫌いで億劫であり、こちらから掛けるのも、誰かからのそれを取り次ぐのも、本当に気が乗らないので、ずっとしんどく感じている。

 

しかし、昇進して組織の長になりながら、こういう風に自分をコントロールしきれない部分があるのはやはり頂けないよなと、とかくもやもやする気持ちもある。

 

一体どうして、僕はこれら2つになかなか行動を起こせないのか?少し自問自答を重ねてみた。

 

すると・・。認めるのも恥ずかしいくらい、すごくしょうもない2つの原因が浮かんできた。これはもう、白日の下に晒すしかないのではなかろうか。

 

今日はそんなお話である。

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「見せかけの多忙」は、「何もしない時間」で打ち破れ!

僕は割と、運勢というものを信じている。調子が良いと感じれば、手を緩めないよう心がける。逆にツイてないと思うときは、気を張り過ぎないように自戒している。

 

これは「運を支配する」という本の教えの受け売りなのだが、シンプルにこの通りの行動をとっていると、掴みどころのない運に、少し手触り感が出たように思っている。

そして今、はっきりと好調の波が来ているのを感じている。合格実績について、今年は非常によかった。それこそ、過去最高の好成績と言っても過言ではないほどに。

 

更に、それに呼応するように、新規の問い合わせもついに動き始めた。波は来ている。ならば、乗るしかない。そしてそれが来ている限り、手を抜いてはならないのだ。

 

勝ちながら二の矢・三の矢を放つものが勝つ。その教えに従うならば、僕はここから、休日全てを返上してでも、新規問い合わせを取り切るくらいの覚悟が求められるのだ。

 

―だが、こんな風に脇目も振らずに仕事へ取り組んでいると、実は無駄な作業が大量に発生することが、僕の中でよくある。

 

そして変な話なのだが、それを言葉にするのは結構難しい。思い付きとして頭に浮かぶが、気付けばふわっと消えている。

 

ここでいう無駄な作業とは、そういう施策とさえ呼べない段階のアイデアのことだ。それが頭の中に詰まってくると、「忙しい」の意味合いが変わるから厄介である。

 

これは要するに「忙しい」のではなく、要領が悪くなり、仕事が片付かなくなっているということだ。このモードは自覚すら難しいので、その対処には難儀する。

 

だから色んな手を試してきた。そして今、一番しっくり来ている手段は、「何もしない時間」を意図的に挟むという方法だ。

 

導入が長くなったが、今日はその話を書いてみる。

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