子どもが勉強に本腰を入れない。これは、ごくありふれた光景であり、多くの方が悩みにしていることでもある。(もちろん僕も)
しかもこの難題の解決策は、まだ体系化されていないという印象だ。家庭環境や個性などに大きく左右されるので、それは致し方ないことでもあるけど。
さて。僕は最近あることがきっかけで、勉強に不熱心な生徒にこそ『成功体験』が必要なのでは?と感じ続けている。
今日はこれをテーマに、色々と論じてみたい。
『成功体験』の持つパワーとは?
最近、新たな趣味として『将棋』を勉強している。
10年くらい前にも覚えようと頑張ったのだが、その時は最弱のCPUに一切勝てず、それが原因で投げ出してしまったのだ。
だが今回は、CPUに勝つコツを調べ、駒の組み方を学び、そのうえで挑み・・。
先日ついに、人生で初めて、CPU相手に対局で勝利をおさめることができた。
その時感じた喜びは、まだはっきり覚えている。とにかく、滅茶苦茶嬉しかった!
それが良い刺激となり、現在もチマチマと新たな戦略等の勉強に時間を割いている。つまり、ハマったのだ。
―このことがきっかけで、ふと今でも自分がハマっていること、得意だと感じていることに思いを巡らせると、あることに気が付いた。
それは、大なり小なり、『やった!』『できた!』『面白い!』という感覚を早い段階で得ていた、という点だ。要するに『成功体験』である。
逆に、どうにも苦手意識が拭い去れない諸々は、『失敗した・・』という風に、自信をへし折る経験が絡んでいることにも気づいた。
これはうまく活用すれば、普段の授業に還元することができる。そう確信した。
まだまだ実践が伴っていないが、僕は以下のことをこれから強く意識しようと思っている。
備忘録がてら、先に書いておこう。
①『得意な技能』を見つけるため、色々な方法でアプローチ。
『英語』1つ取っても、『文法』が得意なタイプ、『会話表現』に強いタイプなど、細かく分類することができる。
或いは、技能全般に弱くても、なぜか伝わってしまうような出川哲郎タイプもいる。
それくらい能力とは膨大な観点でみれるものなので、『こちらが求める水準』だけでそれを測るのは、とても危険な気しかしない。
スペリングが出来なくても、読解は出来るとか。英語を読み取るのは苦手でも、自分の意見を書くのは得意とか。
そういう『何かできるという感覚』を探すことに、これからは一層注力する所存だ。そして各人のそのツボを、褒め倒す。これが当面の目標だ。
ただ、才能を褒めたらサボるようになるらしいので、努力を認めるようには気をつけねばならないけど。
②『他者の自信を砕くような行動』を徹底して潰す。
『成功体験』の対義語とも言えるが、『できなかった』経験と、それに伴う恥とか敗北感とかのネガティブな気持ちのパワーも、とてつもなく大きい。
しかもこれは、第三者からすれば想像だにできないところに元凶があることも多いので、タチが悪い。
例えば、生徒に一人、理科に猛烈な苦手意識を持つ子がいる。他の科目の成績も悪くないので、やれば伸びるはずなのだが、いっそやらない。
色々話を聞く中で、その原因を最近知った。
どうやら学校に理科の超できるヤツがいるらしく、そいつに比べれば自分は全然ダメだから、ということだという。
これを否定するのは簡単だが、それくらい子どもはどこに劣等コンプレックスを感じるか分からないことの裏返しとも言える。
だからこそ、普段の授業では、徹底して芽を摘まねばならない。
テストの点を比べてけなすようなヤツが要れば、指摘。他者比較を繰り返し勝手に自信を失うヤツも、指摘。人格否定はしないし、させない。
その辺の緊張感は、この辺の記事を読めば否応なしに高まる。
僕らの注意一つで、人生に暗い影を落とすこともあり得るのだ。『成功体験』を積ませることだけでなく、『自信を砕く行動』にも目を光らせたい。
終わりに。
いかんせんまだまだ抽象論になってしまったが、難しいメンタル維持の話のヒントは書けたと感じる。
これから実践していく中でネタが溜まってきたら、別途記事にしてシェアしてみるのでお楽しみに。
では、今日はこの辺で。