『ADHD(注意欠陥・多動性障害)』という症状がある。最近急速に知名度が上がってきている言葉だが、簡単に言えば以下の特徴があるという。
・不注意
授業中に集中し続けることが難しい、忘れ物が多い、外からの刺激などですぐに気がそれてしまうなど。
一方で、自分の好きなことについては高い集中力を発揮できる。
・多動、衝動
動いていないと気分的に落ち着かないだけでなく、ただ無意識のうちに身体が動いてしまう、感情や欲求のコントロールが苦手などの特徴があります。
授業中でも立ち歩く、指名されていないのに答えてしまう、などの特徴がある。
・混合して存在
「不注意」と「多動性および衝動性」の特徴をともに満たしているタイプ。どの特徴が特に強く出るかは人によって異なる。
※以下のサイトより引用、一部改変↓
ひと昔前なら『落ち着きがない子』という一言で片づけられていたものが、医学的な『定義』を基に『分類』されたという感想である。
なんでもかんでも病名みたく扱うことには賛否両論だろうが、僕としては打つ手を考えやすくなるので、どちらかと言えば歓迎のスタンスだ。
さてさて。この『ADHD(注意欠陥・多動性障害)』の割合は、ざっくり子ども20人に1人程と言われている。クラスに1~2人はいる計算だ。
となれば、ある程度の規模の塾なりクラスなりを運営していると、ぶっちゃけ居ないワケない、と言える。
そして実際、僕の周りにもいる。診断を受けた子もいるし、そんな疑いがあるのでは?という子もいる。
ということで今日は、『ADHDを理解しよう!』的な話はさておき、『塾として』その子にできそうなことに絞り、まとめてみる。
『落ち着きがない』『言うことを聞かない』子と接する際、双方傷を負わないためにも、参考にしていただければと思う。
では以下、詳細。
なるべく刺激を少なくする。
『気が反れやすい子』がそうなるのには、必ずそのトリガーがある。それはあまりにも幅広いので、代表例だけご紹介。
1 周りのクラスメイトの動作
2 掲示物
3 複数の内容が入った指示
4 演習内容に気乗りしない
この中で気を付けたいのは、特に2(掲示物)と3(指示出し)だろう。よほどの事情がない限り、これらはすぐに手を打てるためだ。
実際、話を全く聞いてない生徒に発問したところ、『ポスター見てました、えへ』的な返答が返ってきたこともある。
例えば掲示物は教室の外に貼るなど、工夫はした方が良さげである。
また、3は気を抜くと、今だに僕もやってしまう。例えば、授業の初めに以下の指示を出すとどうなるだろうか。
『テキストのP54の①、その(2)と(3)を解いて!出来たら自分で〇つけ!』
―実はこれだけで、集中が切れる子は切れる。衝動性が強いと、『わから~ん!』と声を上げてしまうことも。
なので、なるべく指示は刻んで出すべきだ。
『テキストを出す→P54を開く→①を見て→(2)と(3)を解く』
これらは1つ1つ、確認しつつ話そう。また僕は、同時に指示の内容を板書するようにしている。
んで、解けた人が出てきたタイミングで、『答え合わせもやっちゃって!』と指示を出す。こんな感じ。
まずはなるべく、気を散らすトリガーを減らす工夫をするのが、ADHDであるかそうでないか問わず、大切だと感じる。
全力で運動させる。
これは塾内でやったら顰蹙ものだろうが・・・・。僕は何とか、あることを実践できないかと日々頭を抱えている。
それは、『授業前の運動』だ。理由はコチラの記事を見たためである。
みれば、授業前に運動を行うと、ADHDの子はざっくり30%超の集中力の高まりがみられたという。
勿論、そのまま運動を塾内で取り入れるのはキツい。仮にケガをしようものなら、コチラの責任や否を追及されるのもあるし・・。
ただ学校なら、休憩時間の運動を積極的に推奨することで、授業にもいい流れができるのでは?と思える。
時間制限を設ける。
基本的だが効果てきめん。不思議と低学年ほど燃える手法で、『時間制限』を与えると、グッと集中してくれることが多い。
例えば漢字の書き取りや100マス計算などを用いて、授業の頭にタイムアタックをするのも良いと思う。
とはいえ、やることが無くなったら、こういうタイプの子はすぐに注意散漫になるので注意。
出来れば『〇分以内に全部解こう!』という形式じゃなく、『〇分で何問解けるかやってみよう!』の方がベターである。
最後に:ADHDは欠陥なのか?
これについては、僕は全力で否定する。『障害』という言葉が付いているが、僕はこれについて少し不快感さえ抱いているほどだ。
実際僕自身、軽くADHDの気があるように思う。それは特に中学生頃まで、顕著に出ていた。
授業そっちのけで延々と『2×2=4、4×2=8、・・・』をノートに書き続けたり、教科書に載っている写真を模写し続けたり・・・。
授業でノートを取るみたいな、皆出来る継続的習慣が無理ゲーだった。でも、ハマりさえすれば、皆が出来ないレベルで集中出来たりもした。
集団生活はぶっちゃけ今でも好きじゃなく、独りでいる方が好きなのは、周りに合わせなくても良いという理由が大きい。
さて。少し話が反れたが、実際ADHDを持っていると、『高い創造性を発揮できる』・・といった長所が報告されている。
やはり、コチラができる最大の配慮は、『ADHDを負い目と感じさせない、またそういう価値観を蔓延させない』というものじゃないかという気がしてきた。
最後はちょっぴり深い〆となったが、長くなっちゃったので、今日はこの辺でおしまい。