先日塾講師歴5年目に突入したが、やはり一番しんどかった時期は【集団授業を担当し始めた初年】だと思う。
理由は、生徒の面前で授業をすることの素人から始まり、右も左も分からないまま、不安を抱え、研修で怒られ続ける1年だったからだ。
―しかし、この大変な1年目を乗り越えれば、多少楽になった。それは経験値を積めたのもあるが、やはり【授業のストックができた】のが大きい。
今日は、1年目という忍耐の時期を超えた後、つまり指導歴2年目からをもうちょっとラクにするために心掛けたいことを、つらつらと書いてみる。
板書計画は必ず残しておこう。
集団授業1年目は、とにかく事前にどんなことを教えるか、あらすじを見せろと言われたものだ。
板書計画を作らずに授業に入るとか、容認するわけないだろうという圧も感じられた。まぁ、今ならそりゃそうだと思うけど。
その時腐心して作った計画は、必ず残しておくべきだ。ルーズリーフに書いたならクリアポケットのついたファイルに溜めよう。ノートなら残そう。
説明するまでもないだろうが、次回その授業をするときの準備時間が大きく削れるという利点がある。
また、授業をしてみての気づきなどを書き込めば、クオリティの向上も狙える。
たかがメモと捉えることなかれ。自分の残したものは、未来の自分を助けるのだ。
(可能ならば)補助教材のプリントをデータで作成しておく。
小学校の社会を教える際、使っているテキストはどうしても『画像』が少ないと感じている。
だから僕は補助教材として、なるだけ色んな歴史上の人物の顔だとか、地形の写真だとかをプリントにまとめ、配るようにしている。
これをデータで残しておいたところ、これまた準備時間が極めて短くなり、より効率的に業務時間を使えるようになったと感じる。オイシイ。
バージョンアップを怠るわけにはいかないが、データを蓄積していくこともまた、未来の自分を助ける最高の手の一つである。
模擬授業を受けた際は、その板書もストックしておこう。
集団授業を『受ける』という研修も、数多く受けてきた。その人のエッセンスが凝縮された時間を頂けるので、すごく有難かった記憶がある。
一生懸命聴くのもまた研修だが、僕は必ずそれを裏紙やルーズリーフに、出来る限りの口頭説明も書き添えて、書き残していた。
オリジナルよりはどうしても劣化するが、それをなるだけ真似ることで、授業としての形を作れるためだ。
人の真似をするのは悪いことではない。むしろ、自分勝手な素人の授業をする方が、生徒の利益目線で考えれば悪いことである。
学びの機会を頂いたのなら、積極的に残し、大いにパクらせてもらおう。オリジナルうんぬんはその後の話だ。
単元ごとに目標を決める。
『この授業で伝えたいことは何?』
・・と、模擬授業が終わるたびによく問われたものだ。当時は解答に四苦八苦したが、今はその質問の意図も大切さもよくわかる。
『ゴールが無い授業』が上手くいくことは稀だ。それはさながら、井戸端会議で有意義な意見の一致をみることが無いのに似ている。
それに、『伝えたいこと』を明確にすると、明らかに授業作りが速く、そしてラクになった。
『疑問詞のルールは全て共通だってことを落としどころにしよう』『鎌倉幕府の話は、成立から滅亡まで一気にいこう』
といったロードマップは、単元ごとに作っておきたい。指標さえあれば、中身を変えても本質をズラさずに済む。
与えられた授業時間で、どこまで教えるか?
この答えは、定期テストや、各入試の過去問、生徒のつまずくポイントなどを分析していくと、浮き出てくるものだ。
ここは腰を据えて、しっかりと向き合ってみてほしい。
終わりに。
僕自身、『ラク』を悪いこととは全く思わない。削れるところはどんどん削り、その労力や時間は適切なところに振り分けるべきだ。
浮いた時間で授業を練り直すのもいい。別の事業のアイデアを考えるのもいい。
『ラク』にすることは悪いことでも何でもないのだ。
―というメッセージをもって、今日の〆とする。