得意科目が得意な理由や、苦手科目が苦手な理由は、掘り下げるとシンプルながら深いヒントが隠されている気がしてならない。
その根底にあるのは、『才能がある』云々といった話ではないと思うからだ。もっと単純な、『おもしれー!』という体験だと思う。
例えば、東進衛星予備校の志田晶先生は、『三平方の定理の新しい証明を先生に褒められたこと』が、数学をキャリアにするきっかけなのだという。
僕自身も心当たりがあるのだが、得意な科目は、得意だから好きになったのではなく、楽しい、面白いから得意になったものばかりだ。
そして逆に、苦手科目が苦手な理由は、やっててつまらないと思えるような何かが過去にあるから、というのが大きい。
今日はこの辺の、突き詰めたら面白そうなテーマについて、文字数が膨大にならない程度に考えてみようと思う。
僕の苦手科目の原体験。
僕は『数学』が苦手だ。高校の文理選択も、『数学が嫌い』という理由だけに文系にしたアホだ。(結果それは良い選択だったのだが)
では、一体なぜ僕は数学が苦手になったのか?少し振り返ってみる。
小・中学生の頃は、むしろ算数・数学は得意科目だった。100マス計算も割と速かったし、作図もすぐさま閃いたものだ。
中2の時は通知表で『5』が付いたこともあったっけ。僕は数学が『苦手』というより、『嫌い』の方が近いのかも。
しかし、だ。高校入試の時、数学をやらかしてしまった。50点中16点(自己採点)という鼻血が出る数値を出し、以後数学に取り組むのが嫌になっていった。
高校に入学後は、何とか数学の授業についていくことができ、最初のテストは上々。数学アレルギーは少しずつ治っていった。
―ところに追撃が来た。変にいい点を取ったがため『発展クラス』に放り込まれ、そこは先生がほぼ説明をしないというスタイルだった。
また、当時は数学の問題集の解説が非常に腹立つ書き方だった覚えがある。
『解答にたどり着くのは容易であろう』『すぐに答えは導ける』とかが、本気でムカつく。途中式を書けやコラ。
そんなこんなが重なり、今度は数学の成績が面白いほど下がっていった。僕は再び、そしてもっと数学が嫌いになるのである。これは半年続いたっけ。
で、次に契機が来たのは、高校2年の最初のテストだ。ほっとんど教科書例題とまんま同じと言うテストだったので、なんと100点を取れたのだ!
ただ、他にあからさまなギャルが100点を取っていて、そちらがチヤホヤされたので僕は全く目立たなかったが・・これは嬉しかった。
しかもありがたいことに、それは期末のテストも同じ。僕は2連続で100点と言う無茶苦茶な快挙(笑)を達成、成績は5でウハウハだった。
―が、それもそこまで。その後に出てきた数列とベクトルで撃沈し、僕は数学嫌いに再び変貌。
そして大学受験も数学は思いっきり足を引っ張り、僕はついぞ数学アレルギーを克服できないまま大人になるのであった・・・。
ということで、僕の数学嫌いの原体験は、『何度となく自信をへし折られた』と言うのがデカい。
トータルで見れば嬉しい経験の方が少なく、かつ最後の思い出が『大学受験で爆死』という闇に塗りつぶされているので、なおさらなのだと思う。
科目嫌いな生徒は、人によって嫌いな食べ物があるのとは異なり、何かしらの体験から嫌いになったパターンが多いような気がしてならない。
僕の得意科目の原体験。
一方、僕は『英語』が得意である。-とはいえ数学とは異なり、出来たという経験もなければ、頭一つ抜きんでていたわけでもない。
高校入試の点数も、まさに平均点であった。得意でも苦手でもない、というのが正直なところだ。
英語の契機は高2の時。かつて紹介もしたが、以下の本に出会い、生まれて初めて英語で爆笑できたのだ。
(例えば、『ピーマンが嫌いです』と言おうとして『I don't like peeman.』と言ったら、『俺は小便なんて大っ嫌いだぜ!』と伝わるらしい)
そしてたまたまは続き、『英語の点数を爆上げしたければコレだ!』という触れ込みと共に、『音読学習』にも、この時期出会ったのだ。
英語は面白いというイメージに、効果的な学習法が重なった結果、高2の秋に僕は生まれて初めて英語の偏差値が60を超えた。
結果が出れば面白さは増す。最終的には70を超えたタイミングもあり、今となっては直接的ではないものの、仕事で使い続けている。
最初は『別に・・』だった英語だが、たまたまの出会いが上手い事噛み合い、結果が出たことが契機となって、成績がハネ上がったという感じだ。
出来るようになれば楽しい。僕はその好循環に上手い事乗れたのもあり、英語が得意科目になっていったのだと思う。
これらの経験から感じること。
成功体験の大切さはよく知られるところだ。
しかし、そもそもクソ嫌いな科目においては、成功体験を積むための第一歩さえ踏み出さないというのが現実ではなかろうか。
僕自身、当時のメンタルのまま偶然も起きなかったとすれば、超平凡な(或いはそれ以下)の学力の高校生で終わったと感じる。
―となれば、勉強を教える際に大切なのは、『分かりやすい!』より先に、『やってみようかな』と思える何かが僅差で来る気がしてならない。
僕はそれこそ、『おもしれー!』という感覚だと思っている。
その内容が、『笑える』のか『興味深い』のか、『誰かに認められること』なのかは様々だ。個性に応じて発掘する必要があると思う。
もちろん、わかりやすい授業が生徒の心の壁をぶっ壊す契機になることも多い。実際、それがきっかけで得意科目を作れたヤツを何人も知っている。
『おもしれー!』をどうクリエイトするか。抽象的だし言葉も軽いが、講師の力量に大きく関わる要素だと強く感じている。
あまりないけど・・・。『おもしれー!』を生むヒントになりそうなもの。
ここでこんなに文字数を使っている通り、そう易易と『おもしれー!』という感覚は作れない。
どんなプロの雀士でも、確実には勝てないのに似ている。出来るのはどこまでも、それを生む確率を上げることだけであろう。
ということで、以下ヒントになりそうな動画や本を列挙しておく。
まずはお金のかからないところ(無料動画や中古本)から、ネタをサーチしてみてはいかがだろうか。
―ということで2500字以上も書き連ねてみたが・・・。僕が伝えたいことを上手く伝えられたかは、ぶっちゃけ微妙だ。
だから、ほんの少々でも何か『そうかもなぁ』と思っていただけたら、僕としてはもう大成功である。
それでは、お読みいただきありがとうございました。