子どもの『没頭』は、コントロールするべきか、それとも積極的に促していくべきか?
例えば、ゲームに超熱中する子どもが居るとして、それを禁止するのか、それとも飽きるまでやらせるのか、どちらのが良いのだろう。
これには本当に賛否両論ある。しかし、僕は、どちらかと言えば・・というスタンスで言う。
致命傷を負わないレベルまでは、許容してあげてほしい。
素直に、こういうことを感じている。子どもの娯楽を放任するなんて、講師失格だろうか?
だが、僕は『ハマる』ことにこそ、『学び』の本質が潜んでいるとしか思えないのだ。今日はその理由をウダウダと書いてみる。
『ハマる』ことで得られるものは何か?
僕自身もあらゆることにハマって、そして飽きてきたが、結果その恩恵は今に超活きていると感じる。
ここからは時間の許す限り、『ハマることで得られるもの』を列挙する。
①試行錯誤の思考プロセス
『あれ、このボス、魔法に強いなぁ・・。じゃあ、打撃主体でパーティーを組んでみるか』
といった風に、試す→ダメ→別の案という思考を、何かにハマっている間は自然に学べることが多い。
もちろん『読書』などでそれを鍛えるのは難しいが、ゲームやスポーツなど、数多の選択を積み上げていく系のそれなら、期待は出来る。
こういう試行錯誤の思考が出来上がっている子ほど、例えば難問に固執したり、別解を覚えなかったりといった、変な頑固さが薄い気がする。
②能動的に情報を得る姿勢
好きな本でもたまに出てくる、意味の分からない表現。スポーツで特定の場面に効くテクニック。
そういったものを教わるのが待ちきれず、自分で調べまくるのも、ハマっている状態時の特徴だ。
様々なツールを使い、情報を得る。この経験は、積めるだけ積むべきだ。これだけ情報に溢れた社会なので、早いうちから慣れさせたい。
また、ハマっているものに関連する情報は、頭への定着も速く、そして濃い。それは巡り巡って、いつか自分を助けることも多いのだ。
例えば、初見の説明文などに、自分がハマった知識に関連するものが出れば、バックボーンがある分読解のしやすさが段違いに変わる。
何かにハマっている状態の生徒には、関連情報を素早く調べられる環境を作ってあげたいものだ。
③知識のネットワーク
勉強では勝てるものの、ある特定のゲームの知識では木っ端みじんにされる友達がいる。
数学とか英語はからきしだが、そいつは、『どのエリアのどのマップのどこに、どれくらいの確率で何が採れるか』が頭に完璧に入っているのだ。
ぶっちゃけ、その知識量を僕が持とうとしても無理だ。一体どうやったら覚えられるのか、聞いてみたことがある。
曰く、『攻略本を何度も読みまくっていたら、アイテムの在処に共通点があると気付いて、そこからスルスルと覚えられた!』らしい。
なるほどと思った。知識は基本、どれだけ別の知識とつなげて覚えておくかが肝だ。
その体験を積めるのも、没我の成せる業だと感じる。
④他分野への応用力
さっきの話にも通じるが、一度強い知識ないし思考プロセスのテンプレを築き上げると、他分野への応用が利くので面白い。
例えば、僕の弟は立体のパズルを組み立てるのが得意で、一時期空き時間はそればっかりやっていた記憶がある。
するとしばらく時間が空いて、数多の中高生を苦しめる『空間図形』というジャンルが登場した際のこと。
弟は文系科目は苦手だったのだが、その『空間図形』はすらすらと解けたという。それこそ、学年上位レベルだったらしい。
これもまた、ハマったことが活かされた好例だろう。
こういう例は、例えば難解な概念を自分の好きなことに置き換えて理解するといった、インプットの際も発生する。
まずは、好きになったものを通じ、全ての基本になる強い知識を体得させたい。子どもは出来る予定すらない僕だが、そんなことを感じている。
終わりに。
冷静に振り返って思うが、人生においてハマったことで、今暗い影を落としているものは何一つない。
むしろ、良い方へ活きているものばかりだ。
確かに、一日の大半を勉強もほっぽらかして娯楽に走っている姿は、見ていて気が気じゃないと思う。
だが、だからといってハマることを全面的に禁止するのは考え物だ。大量の好機を捨てることにもなる。
最近はそういう厳格な家庭も減ってきた気がするが、未だにちょいちょい、『好き!!』を抑制する例を見る。
もったいないなぁ。ああ、もったいない。
まさに今日のはただの愚痴だが、何かしらの一石を投じられていれば嬉しい。
それでは、この辺で。