精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

『真面目で自分に厳しい』子ほど、勝手に落ち込み、勝手に潰れる。

 『真面目で自分に厳しい』とは、この世をトップクラスの階層で生きる人間には必須の性格のような気がする。

 

二宮金次郎辺りが代表格であろうか。そういった『努力』に徹する人間を、多くの大人は理想の子どもとして取り立てている印象がある

 

だが、今の仕事に就き、色んな生徒を見てきた結果だからこそ、強く思う。結局、『真面目で自分に厳しい』子ほど、メンタルがこじれるケースが多いのだ。

 

特に自分を支えてくれる方々の理想や期待に応えようとするほど、その傾向は強くなる。

 

今日はそれについて、自分に大甘な僕が警鐘を鳴らしてみようと思う。

 

 

 

『努力は全てを解決する』の嘘。

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『誰でも長時間の努力を積めば、どんな分野でも一流になれるのだ!』という意味で、10000時間の法則というのがよく喧伝される。

 

先に言っちゃうが、多くの実験や研究は、この法則に懐疑的だ。(もはや否定されているレベル)

yuchrszk.blogspot.com

 

となれば、自分の持つ才能なりセンス、或いは熱意といった要素をガン無視し、がむしゃらに努力すればどうなるか。

 

あるラインから先は全く報われない努力を、ひたすら浪費することになる。言い換えれば人生の無駄遣いだ。

 

悲しい話だが、才能と言うのは厳然と存在する。求められる時間の半分以下で東大・京大に楽勝で行っちゃう奴らだっている。

 

しかし不思議と、そういう天才が大々的に紹介されることはまず無い。何か情報操作に近いものを感じるが・・。まぁここはいい。

 

問題なのは、『自分に厳しい』子が、『向いていないこと』に努力を重ねている場合である。

 

この状態だと、大抵メンタルは闇へ向かい拗れていく。

 

『自分への厳しさ』が引き起こすモノ。

 

いの一番に浮かぶのは、インポスター・シンドロームだと僕は思う。

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このブログで何度も取り上げているのだが、『真面目で自分に厳しい』と、結構な確率でこの思考に嵌る。

 

どれだけ高得点を取ろうと、満点じゃないことを責める。どれだけ勉強をしようと、謎の理想像には敵わないと責める。

 

そして、例えばケアレスミスなどの自分を責めるポイントがあると、不思議と安心したりする。不健全極まりないではないか。

 

『真面目で自分に厳しい』とは、『今の自分は理想像にたどり着いていない不完全なもの』と己を律することでもある。

 

しかしこれを拗らせると、自分で自尊心をへし折り続ける毎日が待っている。猛烈にマズいのはお分かりいただけたと思う。

 

そして『自尊心』が滅茶苦茶にへし折られると、その内勉強なり部活なりを色々な言い訳を付けて回避するようになる。

 

そうなれば、後は負のスパイラルだ。落ちていく能力、そしてその現実からの逃避。

 

―ここから先はどうなるかは、あまりにも辛く恐ろしい話なので、敢えて書かないでおく。

 

ということで最後に、この『真面目で自分に厳しい』子を、どうすれば救えるのかを考えてみる。

 

実は僕自身もかなりこのケが強く、実際に心がへし折れかけたこともあるので、少し熱を入れて書いてみようと思う。

 

『特別であること』を目指さなくても、敗者ではない。

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『特別であること』を目指す生徒は多い。例えばクラスで何かしらの分野で一番になったことがある子ほど、その傾向は強い。

 

しかし、断言する。その願いは、まず叶わない。

 

例えば、地方高校野球のエースは、甲子園のエースに大体勝てない。

 

そのエースも、プロに入れば大体敵わない。プロになれても、二軍、一軍と壁は厚い。

 

そこで活躍できても、世界にはまだまだ強者が居る。今の時代に居なくても、これまでに、そしてこれから、自分を超える存在は必ず現れる。

 

どうだろうか。考えていてイヤになるはずだ。自分の才能なり努力なりに依って立つ『競争』では、いずれ誰もが必ず『負ける』

 

こういう勝敗だの上下だのが付いてしまう舞台に居続けることは極めて危険だと僕は考えている。早めにここから降りるべきだ。

 

多分周りはあーだこーだ言ってくるだろうが、大切な心や身体を壊すより遥かにマシだ。

 

―しかし、年齢的にまだ頑張りたいのなら、次の提案を僕は推す。

 

『当事者比』で自己ベストを出そう。

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一番健全なのは、『昔の自分より今の自分の方が成長している』という感覚で、『日々小さな成功体験を積み続けること』だと思う。

 

他者との競争はあくまでその補助として使うべきで、『理想の自分』を膨らまし続けるためにあるのではないはずだ。

 

わざわざ圧倒的に上の能力の人や自分の欠点を引っ張ってきて、自分を責めることはしてはならない。

 

こういう傾向が見えたら、周りの大人は全力で思考を矯正に掛かった方が良いとさえ感じる。

 

やたらと『さげすんでくるヤツ』は、大体あなたとは比べるまでもなくしょうもない人間です。

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競争から降りたらどうなるか。努力の手を抜いたらどうなるか。一番恐ろしいのは、他者の声ではなかろうか。

 

『アイツよりは点取れるよなー』『努力せんとかどうなんやろー』『だっせー』みたいな。

 

実はこれについて、非常に心強い記事がいくつかある。

daigoblog.jp

daigoblog.jp

 

これをもっと早く読んでおきたかった。他者の声が心配でたまらなかったあの頃に。

 

―要するに、陰口の心理は非常にシンプルなのだ。

 

ライバルより自分が秀でているようにみせて、不安を解消するため

(つまり自分に自信がない)

 

 

これで大体片が付く。

 

ぶっちゃけこの辺は、自分を守るため、或いは器をデカくするための成長痛である。乗り越えた先の幸せな暮らしを想像した方が吉。

 

―ということで、今日は割とスピリチュアル?な話になった。

 

だがこれを機に、心当たりがある生徒の顔が浮かんだなら、そっと手を差し伸べてあげてほしい。

 

猛烈な努力は、救いを求めるサインかもしれないのだ。

 

それを無知なばかりに見過ごし、みすみす潰すなんてことがあれば、目も当てられない。

 

どうかそれだけは、防いであげてほしい。

 

強く、そう願う。