精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【小ネタ】『できない』が『できる』に変わる快感って、大人になっても持ち続けたいよね。

突然だが、皆様はなぜ『勉強』をしてきた(いる)だろうか。

 

大学に行くため、親に言われたため、等々、実は『内発的動機』に基づくモチベーションを掲げる方は、少ないのではと思う。

 

かくいう僕もそういう要素はもちろんある。あるのだが、ぶっちゃけそれが主ではない

 

僕は、『できない』が『できる』に変わる感覚が好きなのだ。そしてこの感覚を持つことが、講師や教師として欠かせないスキルだとも思う。

 

今日は、そんなのをまとめた駄文である。

 

 

 

『弱者』の気持ちを知らないヤツの話のつまらなさったら。

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小さい頃から特に挫折を味わうことなく、世間で言うところの『勝ち組』な人生を歩むヤツが居る。

 

秀才、スポーツ万能、美男美女、整ったスタイル、或いはそれら全てを兼ね備えた天才。

 

僕はこれ自身を全然否定しない。生まれながらにいい意味で不平等が存在するとか、当たり前だからだ。

 

しかし、そういう挫折を一切知らないヤツの話は、結構な確率でつまらない。或いは、イライラする。

 

『こんなのも分からないの?』『楽勝過ぎるって』『え?何で苦労してるの?』

 

という風に、言葉の節々に無意識の嫌味を感じることが多いのだ。努力を必要としなかった人生だからか、色んなところが薄っぺらい。

 

今の社会では、何かしらの競争に敗れたことのある人間の方が圧倒的に多い。そんな大多数側の気持ちが分からないのは、死活問題だと思う。

 

さて。

 

『そうだそうだ!天才に俺らの気持ちがわかるもんか!』と、ここまで読んでそう思った方。

 

今日の話は、むしろそういうあなた方に向けて書きたいと思う。理由は、事項から。

 

『弱者の気持ちが分からない!』と思われているかもですよ?

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さっき挙げたセリフたち。

 

『こんなのも分からないの?』『楽勝過ぎるって』『え?何で苦労してるの?』

 

―これは、大人が子どもに言ってはならないフレーズの代表格でもある。

 

例えば、よほど勉強をサボったとかじゃない限り、小学校低学年の子どもよりは、どんな大人も言葉を知っている。

 

自分より圧倒的な知識を有しているという意味では、どんな大人も子どもから見れば、少なくとも知識の点では格上の存在なのだ。

 

つまりそれは、自分にとってはそうでなくても、聞いてる側にとっては『上から』に聞こえるという地雷が、そこかしこに潜んでいることに他ならない。

 

あー、コワイコワイ。言葉一つで心を閉ざされるとかザラなので、本気でコワイ。

 

―という、僕と同じ感想を持った方に伝えたい。そういう謎の上から目線は、実は心がけで潰すことができる。

 

その心がけとは、『伝える側と同じ目線に立つ』というものだ。

 

以下、その提案。

 

『学ぶのは楽しいヨ』と、言うだけじゃなく示してあげよう。

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『ここで学んだことは、君たちが大人になってから還元される先行投資だ。歯を食いしばり、学問に精進せよ』

 

って言われて頑張れる子どもは、当たり前だがむっちゃくちゃ少ない。むしろ反感を抱かれるだろう。

 

自分の過去を思い出してほしいのだが、何かに興味を持つときは、『誰かが心の底から楽しそうにやっていたから』というのが多くなかっただろうか。

 

例えば僕が中学生まで続けた『野球』は、楽し気にそこへ通う友人に誘われたのがきっかけだ。

 

そして最近ハマっている将棋は、羽生善治氏の『決断力』を読み、その奥深さに触れたのがその始まりである。

 

―だからこそ、指導する側に立つのであれば、常に何かを学び、『できない』を『できる』に変え続ける姿勢を示すべきだと思う。

 

といっても、これはそんなに難しいことじゃない。

 

料理が好きなら、作れるレシピを増やせばいい。ゲームが好きなら、より高い技術を練習し続ければいい。

 

それだけだ。

 

逆に言えば、『新しい何かの勉強』が面倒になったのなら、それは衰退が始まっている証拠なので、第一線から引いた方が良いかもしれない。

 

それにそもそも、こういった努力は、巡り巡って自分に還ってくる投資でもあるので、一粒で何度も美味しい心がけである。

 

現状維持は後退に同じ。スピードが超絶速いこの世の中だからこそ、胸に刻み付けたい心がけである。

 

終わりに。

 

僕自身、2019年になって出来るようになったこと、形として手に入れられたものは、結構多い。

 

英検1級、そろばん7級程度の技能、二次関数の場合分け、今まで釣ったことのない魚を釣る、将棋のルールを覚え、CPUに勝つ。

 

等々。一つ一つを思い返しても、『できない』が『できる』に変わったときは、本当に嬉しかった。

 

教わるなら、そういう原体験を持ち、その熱を言葉に載せられる講師が良い。僕が目指している水準である。

 

ここまで読んで何か思うことがあったのなら、早速Amazonを開くか、書店に行くか、Youtubeを開くかして、何かを学んでみてほしい。

 

今はどこに居ても大体なんでも勉強できる。本当にありがたい世の中だ。

 

そしてそこで得たエッセンスを、是非ともお子さんや生徒さんに還元してあげてほしい。

 

技術の進歩が一周回り、『人間性』が問われるようになった今、そういう目線こそが大事なのだ。僕も努力は続けていく所存。

 

それでは、お読みいただきありがとうございました。