僕自身の性格で『飽き性』と言うのがあり、ぶっちゃけ同じ授業を何度も繰り返すのが極めて苦手である。
だからこそ、『去年使ったプリントを、今年もつーかお』という心理に抵抗があり、めんどくさい性分だなあと我ながら感じる。
だがそれはマンネリを回避できるということでもあるので、これは長所と考えており、特段手を打つことなく放置していた。
しかし最近、季節講習が本格的になるにつれ、その限界を覚えているところだ。素直にテンプレに従い、去年と同じものをしようという気になっている。
今日は自戒も兼ねて、この辺の言い訳を述べてみる。
季節講習は無茶苦茶忙しいぞ!
季節講習は嬉しい悲鳴の連続だ。集団クラスも個別授業も、普段のとは別枠のコマで動くため、忙しさが単純に増す。
つまり、予習や工夫を考える時間が物理的に取れないのだ。
短い時間で思いついた深みもないネタを使うのは、これまた『講師』として抵抗がある。
金銭を頂いている以上、全ては『プロ』として提供しなければならない。付け焼刃の予習は、この目線で言うとする方が毒である。
ぶっちゃけ、テキストの内容は大きくは変わらない!
ドラスティックに教材を変えたり、教科書が改訂されたりしない限り、年単位でテキストが刷新されることは稀だ。
つまり、それは説明の使い回しが利くことに他ならない。これは単純に、省エネである。
削れる時間は削り、浮いた時間で新しい価値なり何なりを生み出した方が、トータル得だ。そう思えて仕方ない。
去年の説明を0ベースで考えるのではなく、基本に据えるだけでもかかる時間は全然違う。そしてそれは悪でも何でもない。
―僕はもっと、『クソ真面目・手間暇信仰』から意識して離脱する必要があるのかもしれない。そういうことだろうか。
そもそも主体は『講義』じゃねぇ!
季節講習は履修済みの単元がメインとなるため、0ベースで説明をする方が正直ナンセンスだと感じる。
通常授業以上に、『演習』に割く時間を意識して増やしたい。その方が、冷厳な事実だがぶっちゃけ伸びる。
となれば、説明はスマートに、ほんの10分程度で良いのかもしれない。もしそうなら、準備する量は大幅に減る。ついでに残業も減る。
優先順位はしっかりと踏まえた方が良さげである。
―ということで、今日は提案でもなんでもなく、完全なる愚痴。
僕みたいにクソ真面目を拗らせた方は、講師や教師の方にもきっと多いことだと思う。
お前が言うなという話だが、ご自愛なさってほしい。切にそう願っている。
それでは今日はこの辺で。