今日(12月30日。僕は基本前の日に記事を書いている)でいよいよ仕事納めだ。
いやー、最後の方は授業授業授業授業で、最後の方はもう意識が朦朧としていた気さえする。
さすがにここまでくると、生徒に忙しさを隠す余裕がない。というか、いつでも校舎にいるため、どうしてもバレる。
そしてやはり、『超ブラックや~ん』とか、『大人って大変やねー』みたいなコメントを言われる。
その度に・・・僕は何とも言えないむずがゆさを覚えてしまう。
生徒に大人が忙しくしている姿は、絶対に隠すべきなのか?それとも、ありのままに見せてしまうべきなのか?
ここは僕の中でまだまだ葛藤があるところだ。今日はそれについて私見を述べる。
『絶対に隠すべき』と思う理由。
大人が忙しく、そして必死になっている姿を見ると、『僕も早く大人になりたい!』なんて思わないはずだ。
下手すれば、生徒に『働く』≒『苦行』というイメージを植え付けてしまうかもしれない。そうなれば、そうした大人の功罪はとても大きい。
『働くこと』に後ろ向きな状態の生徒が大人になったとして、何かしらのイノベーションを起こせるとは思えない。
気にしすぎと言われればそれまでだが、近年のニートの数の増加や、公務員人気の異常な高さを考えると、無関係とも思えないテーマである。
『見せた方が良い』とも思う理由。
だが逆に、ちょっと事情が違うなら、別にその姿を見せても良いのではとも感じている。
それは、主体的に仕事をしている結果、忙しい場合だ。或いは、忙しいけど、楽しさも同時に覚えている場合も然り。
今後、単純作業や、人間がやっててツマラナイ仕事は、どんどんAIや機械に奪われていくだろう。
そうなると、しんどい仕事に歯を食いしばって耐え続けるということの価値が大暴落するハズ。昔の日本的労働観は、時間を掛けて溶けていくだろう。
となれば、たとえ忙しかろうと、自分が楽しいと思える仕事をするのが大事になってくるに違いない。というか、もうそうなっている。
振られた仕事が溜まった結果あくせくしているのを見せるのはよくないだろうが、自分がしたいことをするために忙しいなら、見せた方が良いように感じる。
忙しくも充実している大人の姿は、思ったより見られている。楽しくない姿は隠し、楽しい姿は、多忙でも見せる。
僕は現在もこのジレンマを抱えてはいるが、今のところの落としどころはここに置いている。
終わりに。
ということで、これがアップされているときは、12月31日であり、2019年の最終日である。
まだまだ閲覧数も少なく、正直PVがモチベーションならとっくに心が折れている状況ではあるが、これも楽しいので続けられている。
年末年始は時間が取れるので、ちょっとは深い話を書けるように頑張る。
それでは、良いお年を。