校舎で仕事をしていると、割と引っ切り無しに質問を受ける。
『これがなんでこういう訳になるのか分かりません・・・。』
『計算式の意味が分かりません・・・。』
『作文を自分で添削できません・・・。』
勿論、時間の許す限り真摯には答えるが、生徒が満足そうに帰っていくたび、僕は罪悪感を覚えてしまう。
理由は簡単で、添削や質問に対応した時間だけでは、成績など1㎜も伸びないと考えているからだ。
その後の工夫が無い限り、ぶっちゃけ添削も質問も、お互い時間を無駄にして終了だ。(安心感は得られるかもしれないが)
今日はそれについて私見を論じてみる。
受け身の学習で生じる『誤謬性の罠』。
まず最大の問題点は、『添削』や『解説』をしてもらったり読んだり聞いたりすることは、いずれも超受け身の学習である点だ。
ここで何度も書いてきたが、受け身の学習は、アクティブラーニングと比較して、頭に知識として残る率が極めて低い。
例えば、『読書』は工夫無しではその10%しか頭に残らないという。
また『人の説明』は、なんとたったの5%しか頭に残らないそうだ。
つまり質問対応や添削は、掛けた時間と労力の割に、学習効果に乏しいのだ。なかなかにお互い悲しい事実ではないか。
―こういう分かっただけで満足してしまう現象は『誤謬性の罠』と言い、別名『ファインマン効果』とも呼ばれている。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
聞いただけで分かれば苦労はしない。我々講師はマジシャンでも催眠術師でもないのである。
―ただこれは、『何の工夫もしなかった場合』の話である。つまり、打てる手は存在するということ。
以下、僕自身もたまに使う、『添削』や『解説』を実りあるものにするための方法や声掛けをまとめてみる。
では、この『罠』をどう食い止めるか?
①解答復元練習
一番手軽なのがコレ。一通り解説をしたら、そこで生徒を帰らせるのではなく、
『じゃ、もう一度解いてみて』
と伝え、目の前で解かせるのだ。そうすれば、『分かった』≠『できる』とはならないことを、身に染みて分からせることが可能。
解けたら解けたでそれはめっけもんだ。昔これだけでも記事にしたが、極めて有用性の高いセリフである。
ちなみに『添削』の場合は、
『なぜこの表現に赤線引かれたか、理由を言えるかい?』
みたいな問いかけをして、減点された箇所を理解しているか確認するようにしている。(全部書き直させるのは時間の無駄!)
②翌日に解きなおし
1日だけ、それも1回だけの説明で問題が解けるようになるのは、言っちゃ悪いが幻想だ。そんなウマい話は無い。
自分が間違えた問題は、そのページに付箋か何かを貼らせ、必ず翌日見直せ、解き直せと僕は伝達している。
やはり、ある程度の時間を空けて復習をしないと、本当に物事を覚えることは無理ゲーである。身に染みてそう思う。
逆に言えば、2~3日くらい繰り返せば、大概のことは頭に入るということでもある。
説明を受けて理解が出来れば、それを何度も再現できるように頭に入れること。これは基本だがとても大切で、かつないがしろにされている話である。
③途中まで説明させる
『分からん!』という生徒は、『何が分かってないのかを分かってない』ケースが大半だ。
特に応用問題レベルになると顕著になる。こういう時、頭から丁寧に教えるのはちょっと待った方がいい。
『どこから詰んだ?そこまでどう解いた?ちょっと教えて』
と問うようにするだけで、話のし易さもその効果も、段違いに上がる。場合によっては、解法を勝手に閃いて、こっちの仕事が無くなることもしばしばだ。
凄く簡単な前置きだが、効果は高い。オススメである。
終わりに。:『添削』や『解説』の利点とは?
という具合で『添削』や『解説』をフルボッコにしてしまった感じがあるが、僕自身、それらそのものを頭から否定する気も、実は無い。
僕が問題だと感じるのは、『添削』や『解説』"だけ"で十分だと双方が考えている場合である。
そうでなければ、『添削』や『解説』も極めて有意義な時間に変わる。
それにそもそも、何か物事を覚える際、納得できないことや説明が理解できないモノを叩き込むのは、これまた無理ゲーである。
全く調理がされていないニンジンやジャガイモを丸呑みするのに似ている。ちょっと勘弁してほしい。
そこを他の人の力を借りて、理解し、取り込み易くすることで、学習者の暗記の負担はかなり大きく減らすことが出来る。
その術こそが『添削』や『解説』だ。ニンジンやジャガイモを煮物にする感じだろうか。食べ易さが大きく変わる。
皆様もぜひ指導の際は、お互いが受け身の学習だけで満足することの無いよう、意識していただければと思う。
それでは今日はこの辺で。