皆さんは、『競争』に賛成だろうか。尚、ここで言う競争とは、成績順のランキング表を掲示すること等も含む、広義なものとして捉えてほしい。
僕は正直、諸手を挙げては賛成できない。
理由は、確かに使い方が『健全』なら、その人の能力向上に大いに役立つだろうが、『不健全』なものは精神を病むリスクを抱えているためだ。
ということで今日は、
・精神を壊し得る『不健全』な競争をしちゃってる生徒の特徴
・その具体的な改善策
の3点について、なるべく長大にならないよう気を付けながら書いてみようと思う。
『不健全』な競争をしていると出る"コトバ"。
まず、ここでいう『不健全な競争』の定義から述べる。僕が思うに、
誰かと何かを比べて、それにより自己重要感をバキバキに折り続けている状態
こそが、『不健全な競争』である。そして、この状態に突っ込んでいるなら、生徒の発言に『ある傾向』が目立つようになる。
それは、
欠点の強調
である。これはどういうものかというと、例えば誰かとテストの点を比較し、
『自分はここが負けている・・・・』
という発言ばかりを繰り返す感じだ。こちらが介入し、勝っている点を述べても無駄。『でも、ここが負けてる・・』と、自分を追い込んでしまうのだ。
これがこじれると、人生において、絶対に幸福を得られない。自己重要感が低すぎるからだ。
憧れの大学に受かっても、例えば東大に受かった奴らを引き合いに出し、自分の能力が低いかのように話すだろう。
性格を褒めても、身体的なコンプレックスを引き合いに出し、自分は優れていないと述べるだろう。
その状態が慢性化すると、心の病に罹る日はそう遠くない。
もしその気配を察知したら、積極介入してでもそこから降ろさねばマズい気さえする。関わりのある生徒にそのケが無いか、本当に気を付けよう。
※昔書いたこの記事も、参考になると思いマス。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
誰も幸せにならない『負の競争』から降りるためには?
では、ここから具体的な方法の説明に移る。当たり前だが、『競争から降りろ!!!!』と100万回唱えても無駄だ。
必要なのは、効果のあるテクニックの知識と、その適切な実践だ。ということで以下、僕自身も試したうえで、効果があったモノを紹介しよう。
①Howの質問をする。
この質問は、客観的に見て、何かしらの結果が出ているときに有効。
生徒が競争の果てに自己否定を拗らせていれば、以下の様な質問をしてみよう。
『今回の結果は、今まで取り組んできたどの努力が効いたと思う?』
―つまり、『結果』に対して、『なぜ』ではなく『どうやって』手にしたか、の意識を持たせるのだ。
要するに、『Howの質問』である。
こうすることで、運でもなんでもなく、自分が頑張った結果だと意識付けさせることができるのだ。
簡単だが効果は高い。ぜひ面談の席か何かで使ってみよう。
②自分と競争する。
そもそも論だが、他者を相手に競争する限り、いずれ必ずどこかで負ける。
例えば、とある高校のエースは、甲子園強豪校のエースに大体勝てない。甲子園のエースも、プロで勝てるとは限らない。
日本のプロで勝てても、メジャーリーグは話が別。今この世に居なくても、過去や未来を考えれば、自分を超える存在は必ず現れる。
―こんな世界に足を突っ込んで、無事でいられる方が稀だ。だからこそ、比べる相手は『過去の自分』が絶対に良い。
『過去の自分』が残した数値や記録を超えるということは、それは『成長』に他ならない。しかも、それによって『過去の自分』が敗者になるわけじゃないだろう。
昨日よりも今日、今日よりも明日。
そういう積み重ねのためなら、『自分との競争』は全然問題ない。
③オリジナルを探し続ける。
不思議な話をすると、競争相手が0の世界でレースをすれば、どんなに足が遅くても一番になれる。当然だろうと思われるだろうか。
僕自身も勿論そうだったのだが、この目線を持っている人は非常に珍しい。大体は競争相手だらけの世界に飛び込み、そこで粉砕される。
さて。小見出しにある『オリジナルを探す』とは、つまり血みどろの競争から降りて、自分しかいないブルーオーシャンを見つけることである。
今はYoutubeの台頭や、伝統の価値観などの崩壊などが相まって、なにでメシが食えるのか本気で分からない時代になった。
僕自身も『僕のオリジナルとは何だ?』という命題の答えを模索している最中だが、別段そこに競争者の影は感じない。
この意識を持てると、普段読む本も、他者との会話も、何なら散歩中に見つける何かも、全てがアイデアの源に感じられて面白い。
まだ爆発的な何かは見つけられていないが、これからもこのレースはのんびりと走っていく所存である。
終わりに。
こうして色々と書いてみたが、こと教育においては、競争から降りるのが無茶苦茶難しい。
身近にはデキるライバルがいっぱいいるし、仮に自分が意識して目を反らしても、それわざわざを言ってくる有難迷惑なヤツは多いためだ。
大抵は『ウザいよねー』とか『あるあるー』で済むため表面化しづらいのだが、それを拗らせて病む人間は、殊の外多い。
多感な時期の中高生なら猶更だ。心を病むと、本当に矯正するのに骨が折れる。
―3月になれば、色々と環境が激変する場面も多いだろう。そういう時期なので、一層意識を向けていただければと思う。僕も他人ごとと思わず、気を引き締める。
では今日はこの辺で。