様々な受験が片付き、残すは国公立大学後期試験ぐらいなものになった。結果が出るまでは戦々恐々だが、何か一つの区切りを迎えたという感覚もある。
さて。少し前、こぞって色々な講師や著名人から、受験生へのエールがアップされた。
これを掻い摘んで観てみたのだが、その全てが『夢に向かって!』とか、『努力は裏切らない!』というメッセージばかりなのが目立つ。
確かに受験生以外も観る動画で、負のモチベーションについて語るのははばかられるだろうが、ハッキリ言って動機が不純だろうが勉強は頑張れる。
今日は逆説的なエールを、1年後に受験を迎えるであろう新小6、新中3、新高3に向けて、僕も送ってみようと思う。
リセットのために勉強を頑張ってもいい!
これは僕自身の話。僕は中学受験はしていないので、人生初のそれは高校入学に関わるものであった。
正直、当時勉強は嫌いだったので、大した努力を要さない私立でいいかと、中3秋までは考えていた。
しかしその計画は、僕が狙っていた私立に、学年で一番嫌いなヤツが推薦を取ったことで崩れ去った。
またあいつと3年間一緒とか、気が狂う。そこから僕は、がむしゃらに勉強を始めた。
結果、何とか僕は公立高校に滑り込み、そいつとのクソみたいな3年間を回避できたのだ。ヤツのいない高校生活は、実に楽しかった。
―さて。爽やかなモチベーションとは程遠いヘドロみたいな動機だが、僕は勉強を頑張りぬき、志望校という目標を達成できたのだ。
イヤな人間関係、過去の失敗、それらから自分を切り離す区切りとして、受験は数少ないチャンスである。別にそれが狙いで良いじゃないか。
『あの世界に行きたい!』のではなく、『この世界に居たくない!』という反骨心で頑張る。実に結構、僕は全力で応援する。
大っぴらに言いふらす必要は無いが、その思い、大切にしてほしい。
※より詳しい話はコチラ↓
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
下心で勉強を頑張ってもいい!
このテーマについては、以下の記事を見れば『現実』が見えてくる。
―正直これらはポジショントークも良いとこなので、腹を立てながら見るものではない。
他人事として、こういうことを考える人もいるんだな、という距離感を持っておこう。
ただその上で、『現実』はこういう一面を持っていることもよくわかる。やはりステータスとして、勉強は頑張っておいた方が得なのは間違いなさげ。
特に取り立ててコミュ力があるワケでない同志であれば、勉強にしっかり打ち込んでおいた方が、リターンがある可能性が高い。
『有名大学を出て、僕は弁護士になるんだ!』という高邁な目標も良い。だが、『旧帝大を出れば、食うには困らない』という動機が悪いとも言えない。
背が高い人がバレーやバスケを始めるように、何かに向いている人が、その対象に精を出すのは当然である。その下心、大事に持っておこう。
『なんとなく』の何が悪い?
僕みたいにネガティブな生徒は、『でかい目標が無ければ、有名校とか目指しちゃダメなんですか?』みたいな本音を言うことがある。
どうやら、『弁護士になるため旧帝大』とか、『医者になりたいから有名私立中』というフレーズを聞くたび、さして野望の無い自分に疑問を抱くのだという。
僕は彼の肩に手を置き、そっと語る。
『そんなわけねーよ』と。
あくまで志望校も、引いては学歴も、人生においては途中経過なんだと意識しておくべきだ。
とりあえず頑張れば行けそうな高校や大学を目指し、3年や4年のモラトリアムの中で、将来の目標を決めても良い。(僕はそのパターンだ)
正直、将来の夢や目標など、10代前半できちんと描けている方が稀だ。無いのが自然、それを気に病むなんて少し滑稽である。
つまり、『なんとなく』で問題はない。真に打ち込めるものを見つけたら、その時それに全力を出せばいい話だ。
それまでは最低限のことをしつつ、アンテナを張り続けよう。
終わりに。
ということで、ちょっぴり逆説的なエールを送ってみた。熱いエールも嫌いじゃないが、こんなのでも響く人には響く。
シニカルな思考を持つ生徒は、松岡修造的応援が素通りする可能性が特大だ。講師たるもの、応援の仕方にも色んな引き出しを持っていた方が便利だろう。
何かしらの参考になればありがたし。それでは今日はこの辺で。