教育カリキュラムについて、ここ最近は結構盛んに議論が行われているのがわかる。(その実現率はさておき)
ここで一つぶっこむと、僕は『総合』『道徳』といったイメージしづらい科目より、いっそ広義の『心理学』を教わりたかった。
これは何も、誰かの心の動きを推察するためとか、そういう俗的な話ではない。自分で自分の心を守るためだ。
以下、この私見について論じる。
悩みを抱える子供たちに、根性論は無意味。
あまり詳しいことは言えないが、色々な闇を抱えた子が、僕の属する塾にも通ってきている。
両親の離婚。友人関係。進路。過去のトラウマ。本当に様々だ。むしろ、悩みが無い生徒の方が、超少数派である。
そして、その苦しみに対し、(僕を含めた)大人たちは、驚くほど何もしてあげられないのに絶望してしまう。自分の無力さを強く感じてしまうのだ。
酷いときは、周りの大人に相談した結果、よくわからない根性論(甘えるな!)とか、呑気な未来幸福論(きっといつか笑えるさ)であしらわれたという話も聞く。
―ここで知っておいてほしいのだが、救いを求めてきたとき、こちらが思っている以上にその子は追い詰められている。
その段階だと、『道徳』で教わることなどマジで無意味だ。
『人の気持ちを考えましょう!』『自分がされて嫌なことは、人にしないようにしましょう!』『過去は忘れて、前をみましょう!』
―僕はクソ野郎なのでハッキリ言うが、こういう良い子ちゃんマインドは本当にイライラする。実際は何の解決策にもなっていないからだ。
しかも大抵悪さをするのは、そういう言葉が理解できない奴らである。いくら説いても、驚くほど響かない。残念だが、この手の人間は一定数居る。
・・・結局、子どもが心に抱えるトラブルについて、
『あなた自身で何とかしてね!』
という現状になっているのが、僕は大問題だと感じている。
もちろん、他者の心にダメージを与えるような行動を起こさせない声掛けも大事だ。それは認める。
しかし、心にダメージを食らっている状態を抜けるための具体的な策が、まだまだ周知されていないのもマズい。
だから僕は、最近報道が増えている子どもの鬱とか、果ては自殺までを見るたび、絶対にこちらが打てた手はあると、心が痛くなってしまうのだ。
『困ったら相談できるような体制作り』の罠。
そういうのを言うと、大体はカウンセラーを常駐させるなど、『相談』をし易くする環境創りが、まず一番に提唱される。
これはマジでズレているとしか言えない。理由は簡単で、追い詰められている人間ほど相談という行動がとれないからだ。
恐らくこれは僕が言葉を尽くすより、この漫画を読んでいただくのが一番わかりやすいし、心に刺さるだろう。
心に辛さを抱える人間は、自分でも気づかないままに可能性を潰す。逃げるという選択肢さえも消える。そして最後には、命を絶つことしか見えなくなる。
だからこそ、誰にも相談できないまま、突然の決意に見えるタイミングで死を選ぶのだ。(このことは、事件後の同級生や先生のコメントによく表れている)
むしろ、相談できるということは、まだ心に余裕がある証拠。すなわち、打撲なら治せるけど、骨折したら自分で治せというくらい変なことを言っているのが現状なのだ。
だから僕は、あらかじめ一人一人に武器や防具を授けるべきだと思うのです。
こういった心理を考えると、やはり大事なのは『相談のし易さ』ではなく、『一人一人に対処策を教えること』だと僕は思う。
世の中、ドラマのような教室運営ができるばかりではない。愛を持って殴ろうが、日々道徳を説こうが、道徳や倫理を理解できない奴はできない。これは仕方ない。
さて、一体どんなものを教えるのが良いのかというと・・・。間違っても実用性のない机上の空論に偏らない注意は必要だろう。
ということで僕が言い出しっぺなので、ざっくりと『これは必要』という知識を並べると、こんな感じになる。
①人を不幸にする行動を取るヤツの心理
自分より弱いと確認できているヤツにばかり絡むヤツ。その実は、『自分に自信がないというコンプレックスの裏返し』なのだとか。
僕はこれを周知することで、『あぁ、悲しい奴なんだな・・』という同情や、『ヘンに自慢すればこう思われるのか!』という自制を生めるのではと思う。
②心のダメージの受け流し方
SNSが普及したことで、見たくもない情報や、根も葉もないコメント、論理的に破綻した悪口がどんどん飛び込んでくるようになった。
また、依然として、大体クラスに1人くらいは超面倒なヤツが居るものだ。
こういうのは、いうなればシロアリと同じ。心に巣食わせておくと、いずれ内側から身体を壊す。
ということで、こういう『無駄なダメージ』を受け流す術も、あらかじめ伝えておいた方が良いと感じる。
―以上である。
『え?それだけ?』と思ったかもしれないが、何も週何回も授業をしろと言う提案ではないのだ。
定期的でいいので、こういうのを話す場、学べる場を設ければそれで事足りる。恐らくそれで、防げる悲しい話はたくさんある。
終わりに。
僕は生粋のネガティブで、不安は人一倍強く、喜びに人一倍疎い。
今だから言えるが、正直10代の頃は本当に生きていてめんどくさかった。
比較癖が邪魔をして、自分に強みが無いと思い込んだまま生き、大学受験に受かっても上の学歴の人間や出来る同級生に敗北感を覚え、勝手に落ち込む。
―こういう気質でも救いのチャンスがあることは、ここ数年で知った話だ。本当に早い段階で教えてほしかった。切に思う。思って仕方がない。
僕みたいな生き辛いマインドを持つ学生が減ることを、心の底から祈っている。
そんな大層な思いを書いてみたつもりだが、どうだろうか。それでは今日はこの辺で。