今日は完全なる独り言。
『国語が苦手』という生徒はどうしても一定数居るのだが、先天的なハンデを感じるのは、ほとんどいない。
この差は何かというと、『読んで楽しむ』のとは違い、『解いて答える』にはある種の型が存在するので、単純にそれの習熟度の違いだと考えている。
―そしてその『型』が習得できているかどうか、そのセンスがあるかどうかは、『ある作業』をさせれば一発で分かると、僕は独り言ちている。
今日はそれを論じてみよう。
読解にマストの基本ルールと、超似ているアレ。
どの参考書にも載っているため真新しさは無いが、基本ルールは以下の通り。
① 書いてある情報を素直に読み取る。
② 主観で読まない。ヘンなアレンジを加えない。
③ 一度に全部読むのではなく、その都度問題に取り組む。
―これがどのくらいの精度で出来るかが、国語の点数に直結すると僕は考えている。
さて。
よくよく考えれば、このプロセスに無茶苦茶そっくりな『ある作業』、ふと思い浮かばないだろうか?
それは『料理』である。
どういうことか、一応述べよう。
まず『料理』を作る際は、ほぼ例外なく『レシピ』を読むと思う。そしてそれを読み進め、『料理』を完成させていく。
まさにこのプロセス、現代文の読解と不思議な程同じである。
筆者が筋道を立てて、『主張(≒美味しい料理)』に読者を導く点。
工程ごとに作業を進めねば、途中で脱線したり、大事な情報を忘れたりする点。
そして、自分勝手な解釈やアレンジをすれば、途端に本来の姿からズレる点。
全てが読解にマジで似ているのだ。
その生徒に、その子に国語のセンスがあるかないかは、案外『料理』や『お菓子』を作らせてみれば、ハッキリするかもしれない。
自分勝手なことをしたり、書いてある情報が読み取れなかったりすれば、それは訓練が絶対に必要だ。
逆に、レシピから料理を再現するのが上手なら、それはそれでセンスがあることの表れともいえる。
―ということで『何言ってんだお前』色が非常に強い問題だったが、何かしらの観点のヒントになっていればありがたし。
それでは今日はこの辺で。