精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

『色んな観点で物事を捉える』練習は、義務教育中にやっとかないと人生詰む件について。

最近、この本をまた読み始めた。

 

そして、それを身に付けておかないと『損をする』というのも、これはハッキリよくわかった。こう考えれば、義務教育に数学があるのも頷ける。

 

でだ。

 

ここで扱われているような、『色んな観点で物事を捉える』練習は、人生の早い段階で密に積んでおいた方が絶対に良い

 

―というかそのレベルでなく、経験不足だとゆくゆく大損していくのが目に見えている。だって僕がそうだったから。

 

そこで今日は、この件について警鐘チックなことをがなりたててみる。

 

 

『考え方を変える』とは?

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『考え方を変える』とはどういうことか。これには色々定義があるのだが、現実世界でよくあるシチュに絞って説明してみる。

 

まずは、『前提を変える』という場面から。例えば、以下の例を考えてみよう。

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このキャラは実際のところ、『あなたのことが好き』だとしよう。すると、セリフや表情、動作の解釈はどうなるだろうか?

 

―こっ恥ずかしい気分に耐えつつ、脳内会議は終わっただろうか。

 

では続いて、このキャラは『本当にあなたのことが嫌い』だとしよう。すると、全く同じセリフや表情、動作でも、考え方が変わるのではなかろうか。

 

これは思春期の恋愛でよく発生する話なのだが、それくらい『考え方』は『前提ひとつ』で大きく変わるものだ。

 

そしてもう一つ紹介しておくと、『別案の採用』もよく行われる。ピンチをチャンスにするみたいな言葉があるが、あれのことだ。

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例えば、コロナで自宅待機命令が出たのなら、苦手単元の復習をまとめてやってもいいし、取り組めていなかった勉強法を身に付ける期間にしてもいい

 

ここで求められるのは、意識して感情を割り引くことだ。そうして本質をドライに抜き出し、対応策をアレコレ考える、みたいな具合。


ということで『色んな観点で物事を捉える』というのは、非常に身近で日常的な話であり、かつコントロールできれば大きなメリットとなるのは伝わっただろうか。

 

そして、実はこのテーマ、逆もまたそうなのである。むしろ僕の主張はこっちかも。以下、その説明。

 

『我』に固執することは、今の世においてデメリットである。

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 『色んな観点で物事を捉える』ことが出来ない人は、本当に大きなハンデを背負っていると思う。

 

例えば、自分の価値観以外で物事を見られない人は、それに合わない人たちは全て理解できず、ひどい時は排他的な行動に出ることもある。

 

『アルバイトは掛け持ちせず、一つの会社に尽くすべきだろ!』とか言っちゃうのがそのタイプ。

 

また、『色んな観点で物事を捉えられない』と、他の可能性全てが見えなくなるため、これまた大きなハンデである。

 

極端な例だが、Excelでやれば数秒で終わるタスクも、その存在を知らないばかりに、電卓を叩くやり方に固執する感じである。

 

今やあらゆる技術があらゆるメディアですぐに得られる時代だ。我にこだわるだけ、効率面から言えば損である。

 

―ということで、『自分にとってはこれなんだ!』という一本で行くことに、もはやメリットはないのが昨今だ。

 

やはり『色んな観点で物事を捉える』練習は、早い内から取り組んでおくことに越したことは無い。

 

終わりに。

 

と言っても、義務教育中なら、その機会は大量に溢れている。

 

感情や主観を割り引かないと解けない国語の読解とか、別解がたくさんある算数・数学の問題とか。

 

ぶっちゃけそこで練習を積めば、結構自然にその能力は鍛えられるものだ。

 

もしこの辺の学習に意義を見出せず、やる気が出切ってない生徒がいるのなら、声掛けの一環としてここに書いた話はいかがだろうか。

 

では今日はこの辺で。

 

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