今回、この記事を拝読し、その内容に『はっ!』と気付かされることがあった。
『あ!俺も気付かん間に、俺がちょっとディスってた思考に染まりつつある!』
というものだ。簡単に言えば、
①特にソースも調べず、感情論でがなり立てる
②自分は正しいのだと斜に構える
③でも特に行動をするわけでもない
という考え方である。僕自身、それを冷ややかに感じていたし、自分がそっちに行かないよう意識していたつもりだったが・・。
今回この機会に自分を客観視していなければ、多分染まりきっていたとさえ思う。いわば、ちょっとした恐怖さえ覚えているくらいだ。
ということで今日は、その原因としての心当たりと、気付いた今取れる行動について、自戒も込めて簡単に書いておこうと思う。
多勢に無勢はリアルガチ。
心当たりとして一番に浮かぶのは、周りの人たちが総じて浮足立っている、この状況そのものだ。
僕は中国地方のとある県出身で、今現在もとある県に住んでいるのだが、ここ最近『コロナ』の発症が相次いでいる。
その感染者が取っていた行動も非難の的となっており、それを原因とした怒りや不安というネガティブが、僕たちを濃く取り囲んでいる。
周りの方々も、地元に住む僕の友人も、LINEだの井戸端会議などで『怖い怖い』と連呼したり、『行政の対応おかしいだろ!』と怒ったりという有様だ。
その中で冷静さを保つのは、殊の外難しい。気付けば僕の中にも、彼らと同じような不安や怒りが芽生えていた。(これは、冷静に自分のLINEの返信を見返して気が付いた)
朱に交われば赤くなるというが、あれは思考において容易に起こるとよくわかった。しかもそれは、大抵無自覚だ。
―だがここで一旦考えてほしい。あなたが抱える不安や不満、そして怒りはどこから来たものだろうか?
それがピンとこないのなら、多分それは人からネガティブが伝染ってきただけだ。ちょっと立ち止まって冷静になってほしい。
それが済んだら、次の段階に移ってみよう。
知ることは動揺を鎮める。
冒頭に紹介した記事に書いてあったことで、『確かに』と深く納得した部分がある。それを引用すると、
そもそもの信用を得られていないことが悪いのかもしれませんが、教育長も市長も大臣もそんなことはとっくの昔にわかっています。どれだけ愚策が目立つといえども、いい大人ですから。危険なことくらいわかっています。
(中略)
休校措置を延長した方がいいことくらいわかっています。わかっているのにできないのです。
という部分だ。特に、『わかっているのにできない』のはなぜかという部分こそ、考えるべきテーマという指摘に、目を覚まさせられたように感じた。
そんなわけで、ある事例を基に、これを実践してみようと思う。
多分ご存知だと思うが、現在、兵庫県の学校が休校を終え、再開を決定したことに対し、あちこちで炎上沙汰になっている。
現在各著名人がこぞって異論を唱えているのもあり、Twitterは罵詈雑言の嵐である。この中から感情論のない情報を探すのは無茶苦茶しんどそうだ。
その中でも慎重に探っていくと、Twitter等で紹介されていない、あるいは無視されている情報が載ったWebページを発見した。
すると、今回の決定に際し、以下の対策が同時に採られるという。
県内に五つある学区のうち、感染者が出た第1~4学区(但馬以外の全地区)では、朝のラッシュ時を避け、1時間程度の時差登校するよう各校に要請。
期間は2週間程度。下校時間は、通常より早い午後3~4時とする。
第5学区(但馬地区)は、�換気の悪い密閉空間�多くの人が手の届く距離に集まる�近距離での会話や大声での発声-の3条件が重なる場を避けるよう徹底した上で、登下校時間などは変更せずに再開する。
つまり、とりあえず学校始めるからあとは何とかしろ、みたいな雑な話ではないことは、ここから読み取ることが可能である。
そして一番『そうだったのね』と思ったのは、この決定に踏み切った理由だ。
1日に開かれた政府の専門家会議は、感染状況に応じて学校の一斉休校も選択肢として提言。再開に踏み切る理由を、県教委の担当者は「学校関係者や子どもに感染者がおらず、現段階で学校が危険な場所ではないという認識。保護者からも再開を望む声が大きい」と説明し、対策本部会議に提案するという。
※太字は僕が付けた
という事情らしい。別に一斉休校は完全に選択肢から消したわけでもなければ、そもそもそういう要望が寄せられていたという話がその裏に隠れていたっぽい。
もちろんこれも、『では具体的に何人の保護者から要望が出たのか?』といった疑問が挟めるため、根拠としては微妙だが、少なくとも僕の見方は変わった。
その一方で改めてコチラを見ると、おびただしい感情論が先に立ち、肝心な中身がほぼ書かれていないことに気付かされる。(そしてアクセス数も圧倒的に上)
なぜかこのページから飛べるリンクもそうなっているため、何かしらの裏を感じてしまうが・・。そこまで行くと根も葉もない陰謀論になるのでやめとこう。
ということで、自分が(特に他者の)ネガティブに染まっていることに気づいたのであれば、僕はとにもかくにも『調べる』という選択を推す。
誰かの意見を鵜呑みにするのは楽だが、それで自分の主張がコントロールされ得るというリスクも知っておかないと、後々デカいツケを払わされるかもしれない。
余談だが、この手の熱狂が生む負の側面については、第二次世界大戦直前の日本史と世界史を勉強すると、身も蓋もない気付きがあるのでオススメしておく。
―ということで完全に便乗した形になってしまったが、『感情論』に囚われている方々が少しでも安心できる力添えができれば、僕としては本望だ。
明日は我が身。努めて中立でいられるよう、身を引き締めようと思う。間違っても、僕のポジショントークを生徒にしないようには、最低限気を付けよう。
―それでは今日はこの辺で。