突然だが、『学習障害』という言葉をご存じだろうか。
脳の機能が絡むためまだまだ未解明の所も多く、また議論が盛んな分野ではあるものの、一応それの定義づけは以下の様になされている。
学習障害とは、知的発達の遅れはないものの「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」能力に困難が生じる発達障害の一つです。
つまり、今までは『単に勉強ができない子』で片付けられてきたものであり、かつ『本人の努力不足』という認識を受け続けてきた生徒たちだともいえる。
しかしこれは、どうやら先天的な要素が強いらしい。障害といったら言葉が強いが、特別な配慮が必要なのは間違いなさげ。
それを知らずに接することで、当人の心に傷を負わせたり、適切なケアを受けさせてあげられなかったりというデメリットがあるという。
そういう事情もあり、どんな形であれ教育に携わる者ならば絶対に知っていなければならない言葉であると思う。
ということで今日は、僕自身の勉強も兼ねて、一度この『学習障害』についてしっかりとキュレーションしてみようと思う。
そもそも『学習障害』とは?
簡単に言えば、単なる不得意というレベルでなく、先天的に一部の能力に極端な困難を示す症状を指す。特に、「読み・書き・計算」に発生が多いらしい。
ちなみに英語で言うと『Learning Disability』であり、そのイニシャルを取って『LD』と呼ばれている。(知名度は高め)
色々な記事や文献を参照したが、具体的には、以下の三通りに分けられている。
①ディスレクシア(dyslexia)
https://blog.gaijinpot.com/dyslexia-teachers-hidden-problem/
この中では一番知名度が高いかもしれない。症例としては、以下の様に説明されている。
知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える障害である。
一昔前であれば、例えば『読むのが遅い!』『説明が拙い!』と言われてきた子たちに、もしかしたら該当者がいるのかもしれない。
では、より具体的にどんな症状を伴うのか?それをまとめた論文がいくつかあったので、抜粋して紹介しよう。
まず、『あるイラストの説明』を求められた、小6女児の例(R)から。
本例の回答は
「外で…(沈黙 21 秒)ネクタイを付けている男の人が新聞を読んでる。
その…(沈黙11 秒)その男の人の後ろに,バス停と…えっと,男の人が 1 人いて,そのおじさんの隣にも 1 人男の人がいて,その隣にひとり…2 人!
髪の短い女の人がいて(検査者:女の人はどこにいるの?)うーんと,新聞を読んでいる人の…横の横…に…ふたり…いる。
(何をしているの?)バスを待っている。(バスは?)女の人の横にバスが…いる。(どんなバス?)緑と黄色とオレンジ?…のバス」
であり,全体の状況説明は拙劣であった。
―このイラストそのものはついに発見できなかったが、沈黙時間の長さや、説明のたどたどしさに、特徴があるように見受けられる。
これはあくまで『読み』や『話し』のことだが、『書き』についてだと、話は少し変わる。
②ディスグラフィア(dysgraphia)
https://wp.wwu.edu/brainblog/2019/12/04/diagnosing-specific-learning-disabilities-in-students/
僕自身もさっきのディスレクシアと混同していたのだが、こちらは『書き』に特異性を認める症状を指す。(こっちは、実際に過去の塾生でも心当たりがある)
定義は以下の通り。
学習障がいの中で、文字を書くことに著しい困難を抱える症状のこと
ここで言う『著しい困難』とは、模範通りに書くことや、【きれい】とされる字を書くことができないという意味であり、単に字が汚いとは違う可能性がある。
例えば、過去に居たディスグラフィアらしき生徒は、どんなにゆっくり丁寧に書かせても、↓みたいな字が出来上がっていた。雑とかそういう範疇ではない。
https://kanjiganigate-kousuke.com/syou4/shindankekka
また、この表だけ取り出すのもナンセンスだが、小1~6年生を対象にした調査で発見された例というのも見つかった。(R)
―この論文だと、『すなわちディスグラフィア!』という乱暴な結論ではなかったが、やはり理解が無ければ『字が汚い』で見過ごされてきた可能性は高そうである。
ちなみに、『ディスレクシア』と『ディスグラフィア』は、同時に出ることもあれば片方だけのこともあるらしく、その辺も理解と判断を難しくさせている。
③ディスカリキュリア(dyscalculia)
恐らく聞きなれない言葉だと思うのだが、『数字』の扱いに非常な困難を示す症例もまた、『学習障害』の一種として定義されている。
こちらは以下のサイトがよくまとまっていたので、乱暴にまとめてみる。
そもそも『dyscalculia』は、『dysleksia』に比べて、圧倒的に認知率も診断される確率も低い!
(イギリスの調査によれば、『dysleksia』と診断され、適切なケアを受けている子どもたちの100分の1程度しかいないという)
そして、保護者が気づき得る症例も載っていた。ただ、これはあくまで一例なので、話半分程度に読んでいただきたし。
① 小学1年レベルの算数の足し算・引き算でも、指を使わないとできない
② 時刻表など、数字が絡む事柄を記憶できない・思い出せない
③ 特定の手順で行う動作の習得・実行が困難
④ 時計やカレンダーが読めない
―つまり、いわゆる『数』や『順番』という概念が絡むと、途端に学習が難しくなる・・という感じらしい。
しかしこの『dyscalculia』は、他の2つと違い『基準ライン』も特になく、また比較的稀有であることから、そう『診断』されることはレアだという。
実際、これをもっている子どもたちへの指導のガイドラインは、少なくとも1年前の時点では制定されておらず、今も『コレ!』というのは見つからなかった。
余談だが、『dyscalculia』では?と感じる子どもたちの約81%は、既に他の発達障害の診断を受けていたというデータも載っていた。(正直眉唾)
まだまだあまりにも研究や認知が進んでいないので、『うちの子、まさか!!』と恐れるには、ちょっと早すぎる段階だと感じている。
では、指導者ができるケアとは何なのか?
責任放棄と無責任は違うのでハッキリ言うが、資格も何も持たない場合、私塾としてできる改善のためにできることは、ほとんどない。(それは大抵の教員も同じでは?)
実際、『診断』というのも、個々人が勝手にできるものではなく、専門医による検査が必要となる。(これが無ければ、学習障害はナシというのも怖い話だが)
したがって、現状僕が意識して取り組んでいることは、以下の3つである。
① その『症状』があるとあらかじめ告げられている場合は、事前に情報を調べておく。
② 『こいつ、学習障害か?』みたいな色眼鏡では絶対に見ない。(ただし面談の場で、あまりにも気になる部分については伝える)
③ 『学習障害』について差別的な言動をしない、そして絶対にさせない。
―つまり、症状に対してどうアプローチするか云々ではなく、不必要に傷付かせないような配慮を手厚くすることが、私塾に出来ることで、その限界だと考えている。
そうするためには、こちらの予備知識だけでなく、自分で色々な心理的不安をケアする術の勉強も必要だ。やはり日々、講師も教師も学習だと、変に納得している。
※尚、『学習障害』についての特例は、少しずつ認められてきているらしい。もっと普及してくれば、そもそもそういう言葉すら消えるかもしれない。そう願う。
終わりに。
ということで、ざっくりと言いながら4000字近くまで埋まってしまった。しかし、最後にもう1つだけ書いておきたいことがある。
それは、『学習障害』等の歴史だ。あくまで推測値だが、日本にこの概念が入ってきたのは、大体1970年代だという。つまり、結構最近なのだ。
変な話だが、勉強ができないという言葉で片付けられがちなのに加え、生死に関わるレベルでないのもあってか、普及こそすれ、深刻さまで伝わっているかは微妙である。
教員不足に加え、増え続ける業務もあり、今後ますますそのケアに避ける余裕はなくなっていくことは容易に想像が付く。『努力不足!』で片付けられる未来も然り。
『教師の仕事はどこまでがそうなのか?』『生徒の特性とどう向き合う?』といった事柄の価値観に対するパラダイムシフトは、もうすぐに見えるが、なかなか来ない。
心の底から、それが"手遅れ"になる前に来てくれることを願うばかりである。もちろん、僕ができる些細なことは、実行しながら。
それでは、膨大なうえに気が滅入る記事にも関わらず、最後までお読みいただきありがとうございました。