僕は努力すれば誰でも東大に行ける!!なんてヌルい話は信じていないが、LDでもない限り、"正しい努力"をすれば、現時点よりは確実に伸びるとは感じている。
しかし、いくら勉強時間を確保しても、結果が伴わない生徒は一定数どうしても居る。では、こういった生徒たちは、一体何が悪いのだろうか?
これはハッキリと、その『やり方』だと断言する。『環境』が悪かろうと、『才能』に差があろうと、打てば響かなければやはり改善策が必要だ。
そこで今日は、この休校期間の学習を無駄にし得る厄介な要因について、チェックリスト方式で列挙しようと思う。
合致すればするほど、学習の効果は無くなっていく、つまり時間の無駄だと思っていただいて構わない。では行こう。
□『ながら勉強』をしている。(特に音楽)
現在、脳はマルチタスクができないこと、そしてそれに超弱いことは、ある種定説になってきているらしい。これは僕も同意する。
僕自身、例えばこのブログの記事を書くときも、音楽を聴くと気分は高まるが作業は遅くなるという不思議な現象は実感していた。
さらに、個々の考えに集中できないというか、ある種の意見を書きたいとき、言葉がうまくまとまらないのも感じている。つまり、深く集中できなくなるのだ。
おまけに、その間にインプットしていたことは大体が頭の中に残らない。『音楽』というノイズが、定着を邪魔しているのだ。
―ということで、『音楽を聴きながら』の勉強は、大体が勉強した気になって終わりというのが現実だ。
『音楽を聴いてた方ができる!』という人は、多分音楽を聴いてない方ができる。なんというか、勿体ない。
音楽はあくまで余暇の時間に、気晴らしとして学習とは切り離し、楽しむようにしよう。
□テキストは一度読んだら終わり。
それで覚えられたら、もはや一握りの中でもトップクラスの天才だ。『暗記』の基本は一にも二にも、『復習』である。それしかない。
ただし、読んで終わりという受け身な勉強では、僕も思うが恐ろしいほど頭に残らない。時間を無駄にしたという悔しさが募る。やはり工夫はマストである。
例えば見開きを読んだら目を閉じて内容を思い出す『想起法』や、時間を置いて太字の語句だけでも説明できるか試す『ミニクイズ』等がオススメだ。
一度試してみてほしい。
□1日に1単元に集中する。
『徹底して弱点を潰す!』と言えば聞こえはいいが、その効果はやり方を間違えるとかなり乏しいというのが現実っぽい。
例えば『この1週間でベクトルを克服する!』と鼻息が荒い生徒がいるが、その目論見が上手くいくことは極めて稀だ。(実はコレ、僕のことでもある)
何故か?理由は簡単で、途中で飽きてしまうからだ。
『飽き』は学習における最大の天敵の1つで、僕が生徒に指導する際、いかにしてこれを防ぐかに大変心を砕いている。
また難問ほど、その単元"だけ"の知識で解けることは極めて稀で、複合的な知識を如何に持っているかが要になることが大半だ。
それこそ、現在完了形を極めれば、どんな英語の長文も読めるといったバカな話が無いのと似ている。
もちろん、そもそも理解が全然できていないとか、演習が不足しまくっているモノについて時間を多めに割くのは結構だが、1日とかいうデカい塊を使うのは非推奨とする。
□わからないところを考え続ける。
これは線引きが難しいところだが、考えても考えても分からない部分について、『撤退ライン』はあった方が良いと思う。じゃなきゃ時間がいたずらに過ぎていく。
さっき述べた話にも通じるが、人間は同時に2つ以上のことは考えられない。分からないところに意識を向ける限り、その他のことには集中できないと見ていい。
僕がオススメするのは、模試でもない限り、その分からない部分を一旦ノートにメモして、それから元の作業に戻るという方法だ。
忘れるために一度書き出すというのは極めて効果の高いテクニックの1つであり、またそうすることで疑問点がより具体的になるというメリットもある。
できれば教科も関係なく一冊のノートにまとめていき、『インプット』に当たる時間で質問なり参考書を読んだりでそれを解決していくのがベターである。
終わりに。
実際他にもまだまだ書きたいことはあるのだが、キリがないのでこの辺で。
努力を絶対的に信奉していると、時間をかけるというそのものが正義のように感じられてしまう。ハッキリ言うが、それはオカシイ。
やり方が間違っていれば、正しいやり方のヤツには大体敵わない。一方、やり方を矯正すれば、変な学習法のヤツと逆転できる可能性もある。
今一度『自学』の必要性が高まっているこの状況、生徒やお子様、そして自分の学習方法を見直してみてはいかがだろうか。
では今日はこの辺で。