現在僕は、若手と中堅がTPOに応じて変わる微妙なキャリアである。そんな僕だが、入塾時や長期休暇のタイミングで、『面談』によく入っている。
志望校や定期テストの話に始まり、塾での様子、ご家庭からの要望や時には不満、その辺りをシェアし、説明し、正せるものはその場で修正を約束。
言葉にすると大層だが、大体は丁々発止のやり取りなんてもんじゃなく、平和に日常会話をして終わりである。
―この辺は面談をし始めたときから意識していたのだが、最近はこれらに加え、【成績向上の意味合い】についても、その場で統一するよう心掛けている。
実はここをおざなりにしておくと、後々厄介な事態を引き起こすことにもつながるからだ。(僕自身、何度も痛い目に遭ってきた)
今日はやや塾人向けだが、【生徒の自尊心】がテーマにもなってくるので、その辺りに関心がある方も是非読んでみてほしい。
では、以下続き。
何を目指し、【成績】を高めるのか?
僕自身の体感だが、一口に『成績向上』と言っても、その種類は意外とたくさんある。まずはそれらを順に説明しよう。
①志望校合格を目指すタイプ
小5の終わり頃、中2の終わり頃、そして高2の終わり頃の問い合わせは、大体がこのパターンである。現在D判定だけど、何とか・・・みたいなケースが多い。
この場合は兎にも角にも『志望校のA判定』を目指し、点数を取れるように鍛えていくことが必要だと分かりやすいため、同意を得るのはそこまで難しくない。
ただ結構な割合で夏ごろから『現実』の話が出てくるので、こちらとしては結構胃が痛くなる区分ともいえる。
②学校の授業に追いつきたいタイプ
こちらは勉強が苦手な生徒に多いケースで、受験学年でない問い合わせの8~9割はこれであるイメージだ。
これは『現状』から伸びれば御の字という思いが多いため、満足度と言う意味ではヘンな話、そのリクエストに応えやすくはある。
ただし青天井に点が伸び続けるのは極めて稀なので、『合計点で前回(平均)+○点』みたいな妥当なラインを、その都度設定し続けるよう僕は意識している。
③特定の資格取得を目指すタイプ
これは最近問い合わせがちょこちょこ増えてきたケース。例えば小5で英検3級とか、中2で英検2級とか、そういう良い意味で学年不相応な資格を取ることが狙いである。
言い換えればハイリスクハイリターンな案件であり、僕としては極めて肩に力が入る問い合わせと言える。(現状は何とか勝ち越せている)
ただ、これは『資格取得!!』という目的以外にあり得ないため、何を目指して取り組むかに一切の迷いが生じにくいのが有難い特徴と言える。
④『理想』を追い求めるタイプ
『定期テストで400点取り(らせ)たいんです!!』『県内で一番いい高校に行き(かせ)たいんです!!』
というのがこのパターン。僕の校舎があるエリアは教育熱が比較的高く、こういった熱い気持ちを面談でぶつけられることも、決して少なくはない。
何故か生徒を含めたご家庭全体が切迫しているケースが多く、浮足立っている・・という印象を受けることが多い。
では、上記の中で『手を打たねばならないヤツ』はどれか?
もうお分かりだと思うが、④の『理想』を追い求めるタイプである。これは下手すれば、本当に厄介となる。
少し回りくどく、実例を紹介する。ある生徒が、テストの平均点を50点から60点に上げてきた。トータルで言えば50点伸びたわけなので、これは素直にすごい。
しかし、その生徒は浮かない顔だった。話を聞けば、『450点を超えたかったのに・・・』というのがその理由。(ちらほら両親からの圧もその言動の裏に感じた)
三者面談で話をしても、話題になるのは『何がダメか』の一択で、話すコチラもただただ辛かったのを覚えている。
極論は他にもあり、例えば『あと60点でDライン』みたいな有様の大学に、半年で入りたいというくらいしんどい話も飛び込んでくる。
―これを『はい、わかりました』と無邪気に受け止め、努力で何とかしようとするのは、高尚に聞こえるが実は無責任である。
やはり自分を含めた皆の『ため』を本気で考えるのなら、きちんと伝えねばならない話は伝え、その上で納得してもらわねばならないと思う。
そこで僕は、この辺はもう腹を括り、多少切り出しにくかろうが以下の2つの話は絶対にするよう心掛けている。
①短期目標の設定
→1~2か月後に超えていたら『良し』というライン
②撤退ラインの設定
→この時期にここまで届いていなければ、志望校を下げるというライン
さすがにここまですれば、青天井に理想を追いかけた結果待っている『悲劇』を、結構な確率で防げると感じている。
尚、この辺の『言いにくい話』というのも、一度やってしまえば耐性ができ、今では結構普通に言えちゃってるというのは伝えておく。
終わりに。~やればやるだけ伸びるという幻想~
結構ドライな話だが、やはりある程度の『才能』は存在する。誰もが18年勉強すれば入れるなら、東大とか京大とかの格付けなどは、この世に無いはずだ。
僕自身も、かつて自分に『勉強の才能』があると信じたかったが、どうやらせいぜい人並み程度のそれが限界であったらしい。とりあえず今はそれを受け入れている。
しかし、まだまだ精神が成長しきっていない小中高生や、我が子に期待する親心を考えると、それを全員がすぐすぐにできるかと言われれば無理な話だろう。
だが、どこかでその折り合いをつける必要は絶対にある。でなければどこかで必ず心が折れる。言葉を選ばずに言えば、精神に異常をきたす結果にもなり得る。
―勘違いしないでほしいのだが、僕は『今すぐ努力をやめなさい』というクソみたいな主張は、別にしていない。
まずは『現状』からの成長を『良し』とするべきと言っているのだ。『理想』に届いてないからダメではなく、少しは成長したから『良し』。こっちのが健全だ。
期待や理想は時として毒となり、大事な心に牙を剥く。今一度ご留意いただきたし。
それでは、今日はこの辺で。