精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

ご存知の通り、『金持ち』だけが豊かさじゃない。『アレをたくさん持ってる人』もまた、強いのだ。

最近こそ大っぴらに喧伝する人は減った印象だが、『年収高いマン』の人気と、それを欲する女子の熱は、依然として高い

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僕自身これについて、好みや価値観は人それぞれだからどうでもいいと感じているが、どうでもよくないと感じている人の方がどうやら多いらしい。少し深めてみよう。

まず、『高給取り』になるには、その職業はかなり限られている。誰でも浮かぶ職業なら、例えば医師とか。

 

だが、その職業に就くには、それだけであまりにも険しい道が待っている。医学部とか入学するだけでも至難の業だ。才能と努力がかみ合わないと目指せない場所である。

 

となれば必然的に、『勉強ができる』→『高学歴』→『金持ち!』というロジックが出来上がってくるのは、ぶっちゃけ納得ができる。

 

だからか、たまに勉強が苦手な生徒から、『俺運動の才能もねーから、豊かになれないんでしょ?』と悲しい諦めを笑いながら聞かされることがある。

 

・・・・・・・。

 

自分のことを棚に上げて言うが、んなワケあるかい、である。

 

確かに『金持ち』は"金銭的"に豊かなのには違いないが、LIFE SHIFTや新世界を読んでもわかる通り、実は『豊かさ』にはもう一つの指標がある。

 

今日は色々と投げやりな生徒に向けて、そういう話をしてみようと思う。

 

 

別の豊かさ、それは『信頼持ち』。

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先に答えを書くと、それは『信頼』である。

 

インターネットがこれだけ発達し、個人個人が密に繋がれる時代になった今、『金』と同等に価値を持つのがコレだ。その理由を、少し噛み砕いて説明する。

『金』とはあらゆるものと交換可能な有形のツールであり、これをたくさん持っていればいるほど色んなものと交換できるため、豊かさの指標として問題はない。

 

一方『信頼』とは、本来持っていればその人の魅力にはつながるが、無形だし定量化し辛いしで、『豊かさ』かどうかで言えばすごく微妙な話だと感じられる。

 

しかし、これはほんの最近"まで"のお話だ。今現在、その状況は大きく変わっている。

 

まず、『信頼』は考え方によっては、『換金』が可能なのだ。例を挙げる。

 

あなたも人生で何度も、友達の家に転がり込んでゲームをしたり、或いは飲み会の日に泊まらせてもらったり、人を紹介してもらったりしたことだと思う。

 

これはそれぞれ『サービス』と考えれば、本来利用料、宿泊料、仲介料が取られる類のものばかりである。

 

だがそれを、『友達だからいっか』というご厚意で、相手から頂いたと言える。つまり、無形の『信頼』と引き換えに、そういった『サービス』を得たのだ。

 

もっと直接的な方法もある。あなたが何か新しいことを始めようにも、資金が調達できないとき、どうするか。

 

例えばクラウドファインディング』だ。或いは直接の借金。あなたが持つ『信頼』の総量次第で、支援額は多分大きく変わる。『信頼』が『お金』に変わる瞬間だ。

 

ということで、『金』をたくさん蓄えておくことも当然ある意味豊かな話だが、『信頼』を多く培っておくこともまた、豊かさに大きく寄与するのだ。

 

そこまで下心全開だと色々勘付かれるだろうけれど、『金』を稼ぐことにハンデを背負っていると感じるなら、『信頼』を稼ぐ方にシフトした方がいいかもしれない。

 

では今後は『金』か『信頼』か?

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さて。ここまで考えると、以下のテーマがぬたりと思い起こされる。

 

じゃあ、『金』と『信頼』、どっちをたくさん集めておくべき?

 

―ぶっちゃけベストは両方稼ぐことなのだが、ここから先はあくまで私見ということで述べていく。

 

僕はハッキリと、『信頼』だと感じている。もちろん生きる上で最低限の金は必要なので、そこは得られているのを前提として考える。

 

その理由は2つ。まず今後、『金』の価値は徐々に減っていくと感じているからだ。

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とんでもない!と思われるかもしれないが、今世界では金が余っている状態なのだという。投資する先がないため、誰かの口座に大量に眠っている感じだ。

 

中3社会にも書いてあるが、基本供給が増えれば増えるほど、その価値は下落する。上手く配分されていないだけでたくさん眠っているなら、金であろうとそうなる。

 

しかも今後AIやロボットが台頭することで、人間並みかそれ以上にそれらが金を稼ぐことになる。

 

そしていずれは、そういった機械が稼いだお金を僕らは貰い、それで生きる未来が来るかもしれないのだ。

 

そうなると、『金』の意味合いは今とはずっと異なったものとなるに違いない。

 

もう1つは、以下の人物を考えた際、どちらの方が付いていきたいか、付き合いを持ちたいか考えてみるとわかる。

 

①金持ちだけど性格が超絶悪い

 

②お金は無いけど人としての魅力に優れている

 

僕はどう考えても②である。金が何よりも大事というなら話は別だろうが、僕はそれでも性格が超絶悪いとわかっている人間の側に行きたいとは思わない。

 

―こう考えれば、金を稼ぐ力と、人から信頼を得る力は、似て非なるものだ。片方が秀でているからと言って、もう片方がそれに比例しきらないという話。

 

『金』という尺度で将来を悲観している生徒がいるのなら、第二の道として提案できるようにしたい考え方だと僕は思う。

 

終わりに。

 

では僕は、普段それに際して何か努力をしているのか?という話だが・・・。

 

逆に聞くが、人に嫌われないというより、自分の能力をどう使えば、この人たちの役に立てるかって、常日頃から考えることではないだろうか?

 

つまり、人間社会において当たり前とされることを、より高いクオリティで出来るヤツ。それが今の世で『豊か』になれる人物なのだ。

 

今一度、自分の言動を振り返ってみてはどうだろうか。僕もまだまだ発展途上が過ぎる段階であるけれど。

 

それでは今日はこの辺で。

 

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