国語とはセンスで解くものだという価値観は相変わらず根強い。実際にそれができるのは一部の天才だけなので、最初から勉強をしない生徒もまた、多い。
ただ、国語はセンスで"解く"ものではないのだが、センスの"有無"は別問題だと感じる。
あるなら得意科目にすべく学習に力を入れるべきだし、ないのならこちらから色々とアドバイスをする準備をしなければならない。
―さて。僕はその生徒にどの程度、国語のセンスがあるかを見たいときは、ある単元の学習の仕方を見るようにしている。
それは『漢字』だ。
どういうことかは、以下続き。
国語のセンスがある生徒の漢字学習。
まずは適当に漢字を並べてみる。
珈琲
秋刀魚
鷲
慮る
さて。読み方はそれぞれ、【こーひー】【さんま】【しゅう、わし】【おもんぱか-る】である。
―ズバっというが、読み方と答えを特に考えもせず覚えようとする生徒に、僕はセンスを感じない。既に頭の中にある知識やヒントを活かさんかいと、ツッコみたくなる。
例えば【珈琲】も、右側の漢字だけ読めば【かーひー】であり、読み方が暗記の大きなヒントだとわかる。
【秋刀魚】だってそうだ。【秋に獲れる刀みたいな銀色の魚】、それはもう【さんま】である。(或いは【太刀魚(タチウオ)】)
【鷲】は一見難しいが、【就】を【しゅう】と読むことに気付けば、記憶のフックは生み出せる。
【慮る】は難問だが、【遠慮】という言葉を思い出せれば、"意味"はある程度推測できるだろう。
―という具合に、既に自分が持っている知識や、漢字の形・読みの中に【暗記のヒント】はないかと、常に意識を張っている生徒はセンスがあると僕は感じる。
ただしこれは、知ってるか・知らないかの次元なので、意識すれば今日からでも実践できる。
退屈な漢字の学習だからこそ、別目線でそれを見つめられるような方法を試してみてはいかがだろうか。
それでは今日はこの辺で。