精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

『完璧』を捨てた方が『完璧』に近付ける。でもそれを学校ですると、怒られる。

僕自身、性根はかなりの完璧主義者だと思う。

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細かいところまでこだわるのは好きだし、徹底してクオリティを高めたものを、あちこちに提供したい。その思いは強い。

 

だがここ数年はかなり意識して、努力して、その気質から脱しようとしている。そして今、それにはほぼ成功している状態だ。

 

そして現在感じるのは、『完璧主義を止めた方がクオリティあがってるじゃねえか』という実感だ。

 

『これからの世の中、むしろこの考え方を止めないと詰むくね?』とも思い、また『でもそんなこと教育で言ったらクソ怒られるなあ』とも思う。

 

今日は、元完璧主義者になりつつある僕が、それを止めたあとの景色を基に、この辺を書いてみようと思う。

 

 

『完成』とは、した瞬間から『時代遅れ』のスタートである。

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是非は色々あるだろうが、今の世の中の変化速度は尋常じゃなく速い。地球の裏の知らせが数秒で届くような世界に、僕らは生きているのである。

 

 

そんなこの世において『完成』を言い換えれば、まさに『変化の放棄』である。

 

そして往々にして、それは『モノ』という形で、『所有』を前提とする。(例えば家電がわかりやすい)

 

それを更新するには、1~2年のスパンで、『完成』した『製品』をまた市場に出すしかない。そして買いもしない商品が溢れる。皆が所有に辟易するのも当然なのだ。

 

こう考えれば、物事を『完璧』に詰め切ることは、結構あほくさいと思わないだろうか?実際、その考え方をする限り、行動も出来ず、世の中にも置いて行かれる。

 

『完璧』の定義は、最近変わりつつあるのだ。以下、それについての説明に移る。

 

80点から先は、意見を貰って直そうぜ!

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ここ最近の本を読んでいて気付くのだが、

 

『80点くらいの出来でとっとと始めよう』

 

という感じの記述が目立つようになった。つまり、仔細を詰めようと思えばいくらでもそうできるが、多少の荒には目をつぶるという話。

 

昔は、『いやいや、その準備不足が原因で失敗したらどうすんすか!』という思いがあったが、今は認識が変わっている。

 

評価が芳しくなかったら、とっとと直せばいい

 

と、こう考えているからだ。

 

つまり、『失敗』というのは自分の手を離れ、修正が効かない『製品』に対して当てはまるものであり、直せるものが対象であるなら、それはただの『過程』に変わる

 

そうなれば、『マイナスなコメント』も、大半は『よりよいモノを生むための貴重な意見』に様変わりする。なんと健全な話だろう。

 

逆説的だが、『完璧』に見切りをつけて人の目に触れさせ、意見を貰って修正を続ける方が、結局『完璧』に近付けるのだ。

 

なんか哲学的な結びになったが、論理的に考えた結果行きついたので、生来ネガティブな僕も、結構すんなりとその行動ができている。(と信じたい)

 

でも、それを学校ですると、怒られる。

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しかし悲しいかな、多分学校でこの態度を全面に出すと、事あるごとに怒られる。よくて心配されるのが関の山で、一目置かれることはほぼ無いのではなかろうか?

 

80点取れるから、もう良いじゃんなんて言う生徒には、『あと20点伸ばせるんだから頑張れ!!』という檄が飛ぶ。

 

ハッキリ言うが、80点取る労力と95点以上取る労力は、天と地ほど違う。後者は多分、適性や才能に関わる要素も大きい。

 

そして競争相手が多い分野で例え抜きんでても、公立校、進学校、国公立、旧帝大・・・と、ライバルは強くなるが減りはしない。泥沼だ。

 

それでも我を通そうとすると、『落ち着きが無い』『意欲・関心に欠ける』という具合で通知表に書かれる。そして親の目に触れ、後はもう言いたくない。

 

―こうして生まれる角が取れた人間がこれからどう苦労するかは、僕が適当にしゃべるより、以下の【LIFE SHIFT】を読めば色々とリアルにわかってしまう。

 

もちろん、多様な適性を評価するシステム創りは極めて難しい。そんなのは重々承知だが、改革は面倒だから生徒が学校に合わせろ、というのもなんかムズがゆい。

 

例えば私企業の教育機関で専門色が強いところに認可を与え、そこで得た評価や実績を、別途通知表に記載できる・・という規制緩和はどうだろうか。

 

『この子は数学が得意です』というステータスと、『この子はすでにぬいぐるみをイチから編めます』というステータス。これらに差が無くなれば、色々と楽しそうだ。

 

もっとも、例えば裏金で適当なステータスをでっちあげる悪徳業者等が確実に登場するから、法整備もまた必要になるだろうが・・。

 

結局ここも先にあげた話と同じだ。

 

『80点程度固まったら、とりあえず始めて、必要に応じて直しましょう』

 

『0点』で始めたらただのバカだが、そこそこまで出来たらGo。適当に聞こえるかもしれないが、これから確実に活きてくる能力・性格である。

 

ということで、もう思っていたことの8割は書けたし、唐突だけど今日はこの辺で。

 

皆さんも『完璧』がしんどいなら、いっそ捨て去ってのびのびやりましょう、という提案でした。

 

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