精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

人生の早い段階で積んでおくと、非常に有利な経験値をまとめておく。

僕自身もそれに関する仕事に就いてはいるが、今は本当に『教育熱』が高いと思う。ピアノ、そろばん、書道、英会話、公文式・・・

 

どれもこれも幼少期に積んでいなかったことを、同級生の過去の話を聞くたび、少しだけコンプレックスに思った時期もあるくらいだ。(その感覚は数か月で霧散したけど)

 

そういう出木杉君モデルケースの存在は、今や珍しくもなんともない。現に、そんなタイプの生徒を、僕は何人か抱えている。

 

―だが、そこで得られるスキルは、よく考えれば"直接"人生に活きることは稀だと思われないだろうか

 

そろばんが高速で弾けても、文章題が読めなければ詰む。英会話が上手でも、それに関わる仕事にでも就かない限り、ただの趣味だ。

 

僕はそういう教育を否定する気はさらさらないが、それに終始するのは考え物だと思っている。

 

―では、そんなひねくれたことをいうお前は、一体ガキの頃に何をしていたのかという話だが・・・。

 

そういった高尚な習い事をせずとも、オリジナルで有意義な経験を積ませていただいておりました。今思えば、それはある種僕なりの『教育』だったとさえ思う。

 

今日は、僕の経験や、個人的にスゲーと思う人の幼少期の体験を基に、メジャーどころな習い事に勝るとも劣らないアレコレをまとめてみたいと思う。

 

 

①探検

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幼少期、僕はADHDを疑われるくらい、落ち着きがなく、ヘンなことが気になる子どもであった。(今調べても、軽度のそれと診断される気はしている)

 

昔の教科書ではないが、『あの山を越えれば何がみえるのだろう?』と気になって仕方なかったのだ。だから、有志を募って何度も気になる場所を探検した。

 

川底から仏具を引き上げたこと。首吊りノットが施された縄が括りつけられた木を見つけたこと。廃墟と思って周りを散策していたら、普通に住人が居たこと。

 

どれもこれもオトナたちからブチ怒られること間違いなしのスリリングな経験であった。だが、そこで得られた経験値は、思った以上にデカい

 

「どうせ何もないよ」と斜に構えるのではなく、「行ったけど、何も無かったわ」と言える人間の方が面白い。今は知識より経験値を持つ人間が強いのだ。

 

―ちなみに、あくまで未知の場所に行って色々見て学ぶ経験が大切なので、例えばキャンプ等でも十分だ。参考にされたし。

 

②オリジナルルールの策定

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例えばトランプや鬼ごっこなど、メジャーとされる遊びに独自のルールを引っ張ってくるヤツはいなかっただろうか?僕の子どもの頃は、何人もいた。

 

ドッジボールも、ボールが2つあったらその難度と戦略性は別物になる。そういうのを積極的に作るヤツは、今思えばある種の天才であった。

 

そいつは無意識に、『新しい土俵』を作ることができていたからだ。つまり、例えば体格が不利だろうと、自分が勝つチャンスを生んでいたと言える。

 

これは少し抽象論だが、既にある遊びにある種のスパイスを入れるような思考は、大事にしてあげた方がいいと思う。

 

③飼育と観察

僕は生き物が大好きで、時折興味を持った生物を採集しては、飽きもせずズッと観察し続けたものだ。

 

ダンゴムシが落ち葉を葉脈だけにするまでの日々を、未だに思い出せるほどだ。また、大抵の芋虫は、見れば成虫がパッと閃く。

 

大げさだが、この一連の流れには、仮説→観察→検証の全てが入っている。あーでもない、こーでもない、必要な結果はこれじゃない!

 

こういう実践的な思考プロセスは、机上の勉強ではまず間違いなく難しい。女子には薦めづらいけど、男の子は虐殺しない程度に生き物に触れてほしいものだ。

 

④遊びの企画

無料写真素材|行事・イベント|集団・グループ|ライブ・コンサート|音楽 ...

後は意外なコレ。自分で言うのもなんだが、『0から何かを企画し、実行する』経験は、積めば積むほど生きてくると思う。

 

大学に入ってから、就活のために狂ったようにイベントを立案する学生を冷ややかに見る目もあるが・・・。僕はそうは思わない。得られる経験値はやはりデカいのだ。

 

これは何も、文化祭のリーダーになれとか、そういう大層なことを言っているわけではない。

 

例えば気になるラーメン屋にみんなで行きたい、でもそこに行くだけじゃつまらないから、ついでに他のこともしたい、じゃあ何をするか?・・・・

 

この一連の流れもまた、立派なクリエイティビティだ。当然その後は、誰を呼ぶとか、予算はどうするとか、交通手段や門限はどうする・・といった事項が出てくる。

 

これらの解決には、『応用力を養う』問題以上に、応用力が問われる。だからこそ、積めば積むほど美味しいのだ。

 

誰かの企画に乗っかるばかりでもラクだし楽しいが、たまには自分で何かを生むように仕向けるのも、一種の教育だと感じている。

 

終わりに。

 

ここで紹介したからには、僕は僕の子どもが仮に生まれたら、男だろうが女だろうが積極推奨するのだろうか。

 

断言するが、多分しない。やれという前に、僕が先にやっちゃうからだ。

 

子どもがダンゴムシを搔き集めてくる前に、僕は勝手にザリガニの観察を始めるだろう。僕は生徒から精神年齢9歳と言われるヤツなのだ。

 

僕の教育論は多分滅茶苦茶なので、常識人をパートナーにしなければ、相当変わり者の子どもになってしまう気がしている。それも面白そうだけど・・。

 

そんな人生の中に勝手に面白みを見つけるような人間のヒントは、上記の経験達にある。参考になるかわからないが、よろしければどうぞ。

 

 

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