この仕事をし始めて5年が経過した。まだまだペーペーの若造だが、実はこの職業において、僕は【ある結論】に辿り着きつつある。
それは、結局塾講師のウリとなる仕事は3つしかない、というモノだ。しかもそれを強く実感すればするほど、色々残酷な何かを感じてしまう。
何というか、自分が良かれと思って最初期の頃に磨いていたスキルって、実は微妙にずれているとかそういう感じ。
・・・今日は少々ボヤキの色が強いが、僕が思うこの3点を述べてみる。
①正しい勉強法を伝えること。
学習とはデリケートなもので、方法が間違っていれば成績はピクリとも動かないこともあるほどだ。
だが、まだまだそういったビミョーな学習法に固執する生徒は多い。せっかくの才能を埋没させているも同然な状態は、結構見受けられるのだ。
僕らは『学習法のプロ』としてお金を頂く職業なので、その正しい術については常にアンテナを張り、実践し、伝えるネタとして日々ストックしていかねばならないと思う。
逆に言えば、学習法に疎い状態では競争力が無いも同じ。職務怠慢と言われても仕方ないのではなかろうか。
まずこれは、僕ら講師の仕事と考えて間違いない。
②最低限の説明をすること。
最初期は、如何にわかりやすい説明をするかに心を砕いていた。だが今は、そっちに意識を向けるのはそこそこになっている。
むしろ、10~15分で説明を終えるにはどうすれば良いかに意識を向けている程だ。だから穴埋めのプリントを作ったり、資料を用意したり、時短の工夫はする。
何度かこのブログの始めたての頃に言ったことだが、僕らの説明は生徒の頭に5%しか残らない。
肝に銘じよう。僕らが45分授業をした生徒と、15分の説明で切り上げて、30分を演習に充てた生徒では、多分後者の圧勝である。
授業こそ仕事と思われる方が多いが、長いそれはあまり益が無い。厳密には『最低限の説明が仕事』だとは意識した方が良いと強く感じている。
③大量の教材を用意すること。
後は、ドラゴン桜ではないが、『問題をシャワーのように浴びせる』のが仕事だと思う。
色々なテキスト、自作のプリント、大学の過去問、各会社の模試、何でもいい。そのストックは、膨大であればあるほどブランドと化す。そういう印象を抱いている。
僕自身は別に参考書オタクではないが、自分が使った参考書や、かつて使っていたそれは、買ったり寄贈したりで校舎に溜めている。
こういう見本市みたいな環境を整備するのも、塾講師の仕事だと思えて仕方ない。
つまり・・・
結局は、生徒が自学するにおいての障害を排除することなのだ。
僕らには、生徒の成績を直接伸ばすことはできない。生徒が成績を伸ばす手伝いをすることが限界なのだ。
生徒の成績を伸ばす講師は、わかりやすい説明で理解させ、良質な問題を用意し、生徒が『勉強したくなる』ように動機付けするのが本当に上手い。
―ここをドライに突き詰めれば、スパルタだろうが演習を生徒にたくさん積ませられる講師は、成績向上につながるため優秀となる。
そう考えれば、説明の分かりやすさに軸を置くことは、悲しい話だが少しずれていると言わざるを得ないのだ。
だから僕は今、色々と自分のキャリアの分水嶺だと感じている。ドライに成績向上を追うか、それともまだまだクオリティ向上に努めるか。
今は何かに突き抜けねば価値を持たない。中途半端に両方を追うと、多分僕は埋没して終わる。
うーむ、答えは全然でないが、30歳になる前には出さないと手遅れだろうなぁ。
そんなボヤキをもって終了とする。