精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【小ネタ】人見知りかどうかってことと、説明の上手い下手って、関係ないよねという話。

今日は少し闇を添加した記事を書いてみる。

 

僕は自他共に認める【人見知り】であり、中高の頃は女子の名前を呼ぶことさえ、恥ずかしさとおこがましさと申し訳なさでできなかった人間だ。(今も苦手)

 

そんな僕なので、久しぶりにあった同級生に、『今は人に説明するのが仕事やねん』というと、ほぼ100%驚かれる。

 

だがその後で、『んー、でもわかるかも』というコメントを貰うことも多かった。聞けば、『だって、物知りだったじゃん』とのこと。

 

んー、確かに、納得できなくもない。腹立つ言い方だと僕はただの衒学野郎だが、確かに自分が『オモロイ!』と思ったのを話すのは好きだったなー、と。

 

『好きなことだと饒舌だな(笑)』とからかわれたことも多い。当時は素直に落ち込んだが、今は『そんなお前は何が好きなん?』とねじ返せるのだが。

 

今日はこの辺からスタートし、タイトル通りのことについて語ってみる。

 

 

話が面白いのか、話し方が面白いのか。

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いわゆる話が面白い人にはいろんなタイプがあるが、人生の早い段階でチヤホヤされるそれは、『話し方が面白いヤツ』ではなかろうか。

 

要するに、ヘンな声で旬な芸人のネタを真似するとか。つまりクラスに一人はいる、アホ男子の筆頭みたいなヤツだ。ちびまる子ちゃんでいう山田君である。

 

そこに内容は全く伴っていないのだが、ドカンドカンとウケるため、羞恥心が強すぎる僕なんかはただただ憧れていたものである。

 

気付けば僕は『面白い、面白くない』という評価さえも頂けない日陰者として、小さく小さく集団の中に溶けていたのである。

 

持って生まれたキラーカードに敵わぬ日々。

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持って生まれた才能のパワーは計り知れない。僕は思春期にそれを悟った。そして自分がそれを持たないことにも。

 

イケメンなら、何を話してもみんなは真摯に耳を傾けてくれるのだ。

 

イケボなら、何を喋っても名言になるのだ。

 

美人なら、ワガママはすぐに現実になるのだ。

 

勉強。知識。筋力。そういった後天的に鍛えることが可能なモノでは、そういう才能に勝てない。勝たせてもらえない。

 

僕は結構努力したと思う。でも、その努力が価値を持つ世界に行って、それなりに居心地が良いと感じるまでは、20代半ばまで待たねばならなかったのは意外である。

 

逆転現象は存在するのか?

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そうした鬱屈の青春を過ごした僕なのでよく勘違いされるのだが、僕は『人見知り』であって『人嫌い』ではない

 

僕はむしろ『さみしがりや』であり、話を聞いてくれる人の存在を渇望している。しかしその一方で、自分を表現することに恥ずかしさも抱く。

 

伝えたいことはあるんだけれど、僕には無条件に誰かに話を聞いてもらえるような天才は無い。だからどうしたかというと、努力をした。

 

お笑い番組は何度も観たし、自分の経験を面白く語るにはどうすれば良いかには、幾度となく心を砕いた。言葉選びもそうだし、人の反応にも意識を向けた。

 

―この積み重ねは、その時はあまり活きてこなかったが・・・。ハッキリと今なら感じることがある。

 

全く努力をしてこなかった天才に対し、『大したことなさ』を覚えるようになったのだ。

 

嫌な言い方だが、例えば当時流行っていたドラマの表面を語れていれば、他のきらびやかな要素次第では『流行の最先端!』みたいな評価を得られたものである。

 

―僻みと取られるのを承知で言うが、例えば僕は『芸能』しか語れない人と、たとえ1時間であっても飯を食いたくはない

 

僕はそれに興味はないので、僕も全く語れない。お互いに得をすることは決してない。

 

もちろんこれは極端な例だが、似たケースには何度も出くわしてきた。主に会話の舞台においてバレるのだが、得意な型以外、本当に無知なのだ。

 

また、その場のノリ、もとい『共感』だけで乗り切ってきた方かどうかは、案外ハッキリとわかる。語彙が貧困だからだ。

 

―僕がどうなのかはさておき、身の回りをみても天賦の才だけで生きてきた人と、自分が好きと思えることに努力を重ねてきた人の逆転は、結構起こっている印象だ。

 

そして下から登ってくる人の共通点は、自分がしたいことを明確に持ちながらも、それを阻害する要因も抱えているという葛藤を抱えているのが挙げられる。

 

僕は今でも、ちょっとでも手を抜けば、生徒から総スカンを食らうという強迫観念を持っているし、説明が失敗したと感じれば、眠れなくなるほどに罪悪感を抱く。

 

得てして人見知りは口数が少ないことから、べしゃりの一切を期待されないことが多いが・・・。それとこれとは話が別だよね。

 

極論だが、美女・イケメンが語る芸能ゴシップと、パッとしない人が練ってきた深い経験談を、選んで聞けるチャンスがあったとしよう。

 

どう考えても、前者が百戦百勝なんてことはあり得ないのだ。だから僕は、僕を冷笑する天才を冷笑し、自分にできる努力をすると決めている。

 

さて。

 

読み返すと『何があった?』と思わされる記事だが・・・。別に何もないからこそ、心の底で抱えている葛藤を書いてみようかなと思った次第。

 

僕は知識を語れる人より、経験をシェアしてくれる人の側にいたい。薄い話をテンションで盛り上げるトークより、起承転結が仕上がったそれを聞きたい。

 

才能に負け続けて自分の価値すら否定し始めている人がもしいたら、違う観点に意識を向けてみてほしい。

 

では今日はこの辺で。

 

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