精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

『物知り』はスマホに勝てない。だから、『経験持ち』を目指そうぜ、と。

僕にとっては悲しい話だが、ただの『物知り』が持つ価値は、ゾッとする勢いで減り続けている気がしてならない。

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ルックスもガタイもパッとしない僕は、せめて『知識量でイケてる奴らと張り合うぞぅ~』と頑張ってた時期があるのだが・・・断言する。もう、それじゃぁ、無理

 

どんな魚の名前も昆虫の名前も植物の名前もナンデモカンデモ、検索さえできれば一発で出てくる時代だからだ。僕が頭に入れたものって何だったんだ。

 

極端な話だが、中学1年生にスマホを渡せば、クイズ王の知識量をも凌駕した人間がそこに存在することになるのだ。補助デバイスの力は偉大である。

 

つまり、わざわざ物知りに語句の意味とかそういうのを聞かなくても、siriなんかに聞いた方が早いのである。楽なのである。

 

―と書くと、『なんだよ、勉強なんかする意味ないじゃん!ペッペッ』とはぶてる生徒が出そうである。ちょっと待ってほしい。

 

確かに『ただの物知り』の価値は激減しているのだが、その一方で、『あるものを持つ方々』の価値は高騰しているのだ。いわばそれは、バブル状態とも言える。

 

―その正体は『経験』だ。この『経験』を持っているかいないかが、『ただの物知り』と『物知り2.0』を分ける。僕はそう思えてならない。

 

ということで以下、僕の持論として、『経験持ち』を目指すことを提案する。

 

 

『知識』と『経験』の壁。

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突然だが、皆様は超辛い食べ物を食べちゃったとき、その辛さとどう戦うだろうか。

 

ちなみに、水と氷という対策は、時と場合による。ワサビ系の辛みにはそこそこ効くらしいが、唐辛子系のそれだと、むしろ悪化するのだ。

 

尚、唐辛子系の激辛を和らげたければ、可能なら生卵を混ぜるのがオススメである。

 

そして辛さが来たら、ヨーグルトやコーヒーで、それは大きく軽減できる。乳製品でも良いのかもしれない。

 

次に激辛の何かを食べるときは、参考にされたし。

 

―こういった知識を持っている方は、実は相当数だと思う。何なら、今これを読んだことで、『知った』状態にはなれる。

 

だが、これらすべてを本当に体験した人はどうだろうか。僕は、そこまで多いとは思わない。

 

ちなみにこれは、最近僕がやらかした経験だ。激辛ペヤングに悶絶し、藁をもつかむ思いでNAVERまとめを調べ、得た情報を片っ端から試した結果である。

 

だからこそ、これは『効く』と断言できるし、水や氷だと辛さが『増す』のもわかるのだ。

 

そう、僕は『知識』だけでなく『経験』を得たのだ。ただ辛さの対処法を知ってるだけの人より、ホントにそうよと言える人の方が色々希少だ。

 

もちろん、これごときで世の中にマウントを取る気はさらさらないが、僕が言いたいことを最も表した具体例はこんな感じということで、ご承知いただきたし。

 

意外と、『説明』を見た人はいない。

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実は『物知り2.0』を脱するのは、意外と簡単である。何も全員、激辛ペヤングを食べて悶絶しなくとも大丈夫なのだ。

 

例えば、『イスラム教徒は豚肉を食べないし、アルコールも飲まない。』 というのは、地理の教科書に100%書いてある情報だ。

 

―が、それを踏まえ、例えばイスラム教が広まっているエリアのレストランの様子などを見たことがある人はどれくらいいるだろうか?

 

尚、僕は縁あって実際に行ってみたことがあるのだが、見事にお酒も豚肉も当然ながら提供されてなかった。(その代わり炭酸飲料とカレーが充実していた)

 

この辺は素直に情報化社会の恩恵にあやかって、積極的にググるようにしよう。『自分の頭で考えろ!』とは、実はただの時間の無駄であることも多いのだ。 

 

『経験』は未知に輪郭を与える。

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経験値をたくさん稼いでおくことには、他にもメリットがある。それは、『未知』に対する心構えができるというものだ。

 

例えば僕は、『他者からの非難・批判』がちゃんとコワイ。それが拗れて、病的に自分を殺していた時期が、人生の結構長い時間を占めるほどだ。

 

―が、その頃の病的な感覚は、今は割と薄れている。理由は簡単で、実際に誰かに、ハッキリと嫌われたからだ。

 

多分それは八つ当たりだったのだが、日雇いバイトをしていた時、作業を手伝おうとすれば怒られ、見てても怒られという面倒なオッサンが居た

 

その時強く感じたものだ。『この人、俺のこと嫌いなんだな』と。

 

そしてもっと強く感じた。『俺もコイツ嫌いだな』と。

 

その瞬間から、『嫌われるってこういうことか』というのがわかり、『どうでもいーな』という感想も抱けた。体験の有無はここまで強いのだ。

 

するとどんどんわかるのが、『走り方をバカにされたときの感覚に近い』といった、過去の類似の経験とリンクする感覚だ。

 

こうすると、似たものがどんどん繋がり、『未知』に対する輪郭ができることになる。最も、近しい者からの裏切りとか重いものはさすがに測りかねるが・・・。

 

なんか分からないけどコワイことは、逆説的だが取り組むことで消えることも、結構多いのだ。

 

終わりに。-レッツ・今日から経験持ち!-

 

ということで、『金持ち』ならぬ『経験持ち』について書いてみた。これの素晴らしいところは、特別な才能はあまり必要としないことにもある。

 

試しに、飲んだことのないジュースを飲んでみよう。食べたことのないポテチの味を食べてみよう。遊んだことのないトランプのルールを試してみよう。

 

その1つ1つが『経験』であり、ひっくるめればその人の『アイデンティティ』になるのだ。

 

自分のことがわからない!という人は多い。

 

もちろん心理的に内面をどんどん深く掘り下げていくのもいいのだが、核となる経験値がそもそも少なければ、ワンチャンまだ何者でもないだけという可能性もある

 

些細な工夫があれば良い。早速、試せるところから試させてみてほしい。

 

では、今日はこの辺で。

 

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