現代社会において、時代錯誤も甚だしいと評される言葉に、『苦労は買ってでもしろ!』という言葉がある。
ここまでダイレクトに表現されることは稀だが、例えば年長者からの苦言には、結構この価値観のニュアンスを感じることがある。
すると、
「ブラック労働の肯定!」「苦労を売る側の発言だろ!」「長時間労働を推し進めてどうする!」「時代は変わったんだよ!」
―という具合で、本気でそう思うのか、ただ乗っかりたいのか計りかねるコメントが飛び交うこともしばしばだ。
さて。これについて、僕も基本的には賛成しかねる。
昔からそうだったかどうかはデータがないのだが、近年苦労し過ぎによる健康被害が多発しているからだ。(僕も実は経験あるし)
だが、僕にもかつてムッチャクチャな苦労を経験した時期があるため、その言葉の意味するところも正直わかっている。
ということで、今やアンチの意見が超大勢を占める中、別目線のことを書いてみようと思う。
①「あの時に比べたらマシだな」と思える。
人生で一番仕事した時期は、20代前半のこと。自己ベスト(ワースト)は18時間労働×8日である。いやー、生きてるのが不思議不思議。
アベレージ労働時間は、ペンタブラック並みに黒いため、書くのもためらわれるほどだ。
そんなぐちゃぐちゃな時期を経験しているため、大抵のことは『あの頃に比べればマシ』と思えてしまう。
人がしんどいという状況が、『いやー、普通やけどなぁ・・』と思えてしまう。
ただし、これを無自覚に下へ広めると、僕はブラック労働観を布教する回し者になってしまう。
あくまでこの経験は、自分の中に留めようと考えている次第。
②本気でヤバい時の自分がわかる。
疲れたら休めと言われるが、自分がどうなのかを客観視するのは案外難しい。
だが一度突き抜けた経験があれば、それを掴むのは結構容易くなる。
僕の場合であれば、シラフだと考え事だらけで寝れなくなるとか、やたらと攻撃的な性格が出てくるようになるとか、物にあたりがちとか、そんな感じ。
逆に言えば、そのどれかが出てきたら、『あっ、疲れてる』ということなので、具体的に手を打ちやすくなるという感じ。
自分は案外、自分に対して無知なのだ。―飛びぬけた苦労か精密な分析をしない限りは。
終わりに。
―他にもまだまだ書けそうな気がしたが、案外早々にネタが切れた。ま、結局デメリットの方が多いのだろう。
僕は間違ってもこの価値観は後輩や部下には広めないし、そんな働き方のヤツが居たら全力で止める。衝突しても構わないとさえ考えている。
むっちゃ休むドイツの一人当たりGDPは、めっちゃ働く日本のそれより高いことの意味を、今一度考えた方がいいと思う。
―それでは、ぶっちゃけ教育関係なかったが、今日はこの辺で。