最近、とある退塾があった。
聞けば、全くもって勉強をしない態度に業を煮やし、もう親が匙を投げたという感じ。まぁ、理由としては結構メジャーだ。
その生徒は勉強が大嫌いだった。その理由を聞いたことはついぞないのだが、多分意義も何も感じておらず、そこに時間等を投資するのがアホくさかったのではなかろうか?
―ちなみにその生徒は、勉強そのものは割とできた。それこそ、ちょいとの努力で80点くらいは取れるくらいに。
だが周りは、100点とか、ワンランク上の学校をプッシュし続け、それに結果当人が徹底して反抗した結果、努力の完全なる放棄に繋がったのだと僕は考えている。
こういう話を聞くたびに思ってしまう。
『したくないことをしない努力』って市民権得てないよね・・。大事なのに。
今日はそんなお話をしてみたいと思う。
『石の上に三年』もいたくないっす。
これを言ったらお終いだし嫌味なのだが、僕も猛烈な努力を勉強に傾けたいかと言われたら、否の人間だ。
正直、もうちょっと熱量込めて受験勉強していれば、今より1ランク上の高校や大学に行けていた気さえする。まぁ、たらればですけれど。
僕は勉強にあらゆる時間や労力を投資することより、その一部を使ってゲームとかの趣味に邁進する道を選んだのだ。ただそれだけ。
受験期だろうが勉強は一日5~6時間で終わらせて、毎日2~3時間はゲームや読書等の趣味に充てる。親は少々心配したが、模試の結果を見せて『順調やし』と説得する。
今思えば、無意識に僕は『したくないことをしない努力』を徹底していたのだろう。
例えば、僕の目的は公立高校や国立大学に行くことであり、そこに貴賤は全くない。だから、チャレンジ校なんて博打を設定したことは、人生で一度もない。
一日に16時間も突っ込んで、初めて受かるか受からないかの瀬戸際に立つ。そんなレベルのところに挑むわけがない。
―こんなことを喋ろうものならあらゆるところから袋叩きにされるので黙っていたが、当時の僕の学校選びの基準は、
『目的に合致して、かつ猛烈な努力までは要らないところ』
なのだ。石の上にも三年とかマジ勘弁。たまにそこに乗るくらいで、後は好きなことも一日に放り込みたかったんです。
・・・その時は別に『もっと上を目指せオラァ!』という声はたまたま飛んでこず、僕は結構精神が健康なまま、呑気に過ごせたが・・・。
それって絶対にレアケースだろうな。能力がある場合、周囲から見れば当人の満足は怠慢になる。
思いやりとかその子を思ってという何かにくるまれてはいるが、結局それは本人からすればただのストレスだしお節介だし聞きたくないセリフなのだ。
―今思えば、一番最初に伝えた退塾した生徒も、多分『辛かった』だろうなぁと同情している。自分の人生から自分の裁量が消えていく。僕もこれは非常に辛い。
『したくないことをしない努力』に市民権があればいいのにな。
本人の満足をもっと尊重すればいいのに。まぁ、人の親になったことがない若造だから言えるのだろうけど・・。
息苦しい部分は、もはや文化だし価値観。社会に根強く残って、そう簡単には風化してくれないらしい。
余談:具体的な『したくないことをしない努力』とは?
はい。ここからは、僕が具体的に行っている『削減の努力』について書いてみる。
まず、僕は今でも英語の勉強は継続しているが、面倒な学習法が嫌いだ。
だからこそ、単語でアプリを確認し、ナショジオの記事を音読、そして通勤中にシャドウイングという、効果が高いそれしかもうやっていない。
全部で20分くらいかなぁ。でも能力が落ちた気は全くしないし、久しぶりにセンター試験の問題を解いてもノープロブレムだった。
また、機械やアプリができる仕事を自分ですることも嫌いなため、事務作業が降ってきたらまず、それをしてくれるアプリや機能、関数が無いか絶対に調べる。
長いこと形式が変わっていないファイル作りも、どうすればラクができるか常に考えている。だって、したくないんだもん。
仮にそういうのが見つからなくても、70点くらいの出来でとっとと提出するようにしている。意外とバレないのでめっけもん。
あと、極端な例だと、洗濯物を干して取り込むという手間も嫌いなので、必ずコインランドリーにぶち込んでいる。
加えて、パスタが好きだがお湯を鍋で沸かすのがダルすぎて、なんかいいグッズを即買いした。
―そうして削ってできた時間は、僕が本当にしたいことへガンガン回している。例えば、ブログの記事を書いたり、授業の準備や予習に充てたり。
という具合だ。細かい話なら他にも山ほどある。
嫌いなことは最短で及第点を。好きなことはトコトン突き詰める。
言葉にすると大層だが、こなすべきノルマはこなしているため、苦言を呈されたことはない。(仮に言われても改める気はさらさらないです)
終わりに。
―なぜこんな志が低いことを書いたか?仮にそう思われたのなら、それはどうしてだろうか。
一つのことにじっくり取り組む職人は、残念ながら将来めっちゃ苦労する可能性が高いらしい。
理由はシンプルで、AIの台頭というメジャーどころから、平均寿命の急激な延びに伴う長寿化社会など、まぁ要因は様々だ。
※いちいち書くのも超大変なので、是非この本を読んで欲しい↓
―もしかしたら、その生徒は、新たなライフスタイルを積極的に実験・実践していたのかもしれない。そう考えたら、ただただ批判するのもズレた話だ。
僕は勉強したくないからと、最小限の努力でクリアする生徒を絶対に否定しないよう、これから一層心掛けたいと思う。
だって自分がそうだし・・・。
こういった色々と悲しい話、少しでも減ればいいなぁ。時間は掛かるだろうけど。
では今日はこの辺で。