精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

やはり子どもたちは、『新しい生き方』にものすごく敏感である。

苦労しつつも、『LIFE SHIFT』の再読がほぼ終わりのところまで来ている。

書いてあることを要約したいのはヤマヤマだが、僕の国語力では数万字かけてまとまりきらないオチが見える。だから、僕の心に刺さったフレーズだけ列挙してみよう。

 

①平均寿命は伸び続けており、自分たちは100年生きるつもりでいた方が良い。

 

②余命が延びることで、従来の3ステージ型人生は非現実的になる。(勉強→仕事→引退)

 

③今まで以上に、人生で変化が必要は場面は増える。

 

④しかもそれは、転職のレベルではなく、新たな技能を身に着けて未知のジャンルに踏み出すことさえ必要になる(こともある)

 

⑤複数の仕事を並行するようになる。

 

⑥自分のアイデンティティ・適性等を突き詰めることが、非常に大切になる。

 

 

・・・みたいな。まぁつまり、

 

何年も修行して極めた一つの仕事に、生涯従事する!・・・ってのが全くマッチしない時代になるということです。イヤー、コワイコワイ!

 

僕自身このライフスタイルはピンと来ているようないないような・・という状態であり、自分が100%の納得を持ってこの生き方にシフトできているかは微妙である。

 

―だが個人的には、生徒たちは敏感にこの辺を感じ取り、今の常識とされる将来や価値観にハッキリと疑問を抱いているのを、ひしひしと感じている

 

時折扱う単元によって将来のことを考える機会があると、全く想像できなかったが非常にハッとするような疑問・質問が飛んでくることがある。

 

その際、僕が生徒で生徒が講師になっているかのような錯覚さえ覚えるほどだ。

 

変化が激しい時代に途中から入った僕と、生まれたときから時代のスピードが凄まじく早かった生徒たち。非ネイティブとネイティブくらい違う。

 

―そこで今日は、僕が指導している生徒が皮膚感覚で抱いている疑問について、なるだけ頭ごなしに非難が出ないよう、解説を加えてみようと思う

 

以下、マジで訊かれたことばかりである。では、いこう。

 

 

Q:なんで勉強せんといけんのん?

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 ―今までだと、『いい大学や高校に行ったら安心だよ!』『将来後悔しないため!』という答え方がメジャーだったと思う。

 

或いは、『そんなこと考える暇があったらやれ!』という暴論だろうか。あまりにも有名なこの質問、未だに受けることがあるし、僕だって抱いたことがある。

 

―が、最近はそれに仄めかされる意図が変わってきている印象だ。昔は『ただの不満のはけ口』だったが、今はどちらかといえば『純粋な疑問』をそこから感じる

 

ここからは僕の推測。

 

今は良い高校・大学に行っても安心ではないし、一方そこに行かなくても色々豊かに生きることは可能。

 

SNSやメディアを通じ、子どもたちはそれぞれのケースに日々触れているからこそ、特に『義務教育』に疑念を抱くのではなかろうか。

 

勉強が好きだったり、それに向いていたりすれば取り組む価値はあるだろうが、そうでないのなら割に合わない時間の浪費。そう考えていても不思議ではない。

 

だから僕が生徒に伝えることは何かというと・・・。

 

『全力でそこから逃げることによるコスト』と『いやいやでも取り組むメリット』を天秤に掛けた上で、好きにすればいいと思う。

  

である。(その上で『じゃあしない!』となれば、そもそも塾に来る意味がなくなるというリスクはあるが・・・)

 

まぁ後は、どうせ将来何かを勉強しないといけないし、ベースは義務教育の科目にあるから、まだマシな単元の勉強を通じて勉強法を練習しとけ、ってところかなぁ。

 

実は僕自身、義務教育に不熱心だったので、金言が無いのである。ま、ドンマイですね。

 

Q:将来何すればいいかとか、わからん・・・。

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『夢を持て!』とはよく言われる。昔(西暦2000年くらいまで?)はそれを山頂に据えて、そこだけを目指すような人生が良しとされた。

 

逆に言えば、夢が無いのはだらしない証拠であり、自己分析が足りないサインという風潮があったような気さえする。

 

―が、今その文言は生徒にあまり響かないだろう。実際、僕も響いてない。

 

何故かというと、一つのことを突き抜けて極めるにはあまりにも惜しいほど、現代は選択肢も可能性も広まったためだ。

 

たとえば、1990年代初頭は、名のある会社に就職し、終身雇用で働くというのが『成功』のモデルケースであった。

 

が、今はそうではない。もちろん一般企業に勤めても良いが、Youtuberとしてメシが食えるか挑んでもいいし、クラウドワークスでフリーランスをしても良い

 

更には起業という選択肢もあるし、オンラインサロンを開いて定期収入を狙っても良い。『成功』とはもう一括りに出来ないほど、多様で深いのだ。

 

だから僕は、夢があるならそれはそれでいいけど、無いことを悩むのも違うと考えており、生徒にはそう答えている。

 

その時その時で自分が可能性が感じることを勉強し、そして実際に経験するのが大事だと強く感じているので、そっちのが良いとさえ考えている。

 

ふらふらしてる状態は、ある種一番選択肢が残っている状態である。無下に非難し続けるのも違うかなと思えて仕方ない。

 

終わりに。

 

ということで、実はもう少し質問のネタはあるのだが・・・文字数がめっちゃ膨らむのでこの辺にしておく。

 

『ふふん、しょせんはガキ。俺のが知識があるんだから、ちょけたこと言ってないで従えやコラ!』という前提は非常にナンセンス

 

過去にしてきたことが未来に直接で活きるなんて、本当に悲しいのだがもはや時代錯誤なのだ。

 

理由は簡単で、今と当時で状況があまりにも違いすぎるためだ。

 

僕が子どもの頃は電話とポケベルがせいぜいだったが、今はスマホ1つで長大な画像とテキストを地球の裏側まで一瞬で届けられるのである。

 

うーむ、過渡期の今、しんどさもワクワクも同時に感じるなぁ・・・。

 

何かしらの参考になればありがたし。では今日はこの辺で。

 

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