幼少期をふと思い出すと、僕はやはり自由研究が大好きだった。
昔賞状を貰った時は、とある磯を5~6時間かけて調査し、海藻をメダカ網で漁り、岩をひっくり返し、どこにどの生き物が居るかを密にマッピングしたものを作った。
黎明期の家庭用PCを使って頑張った記憶がある。懐かしい記憶だ。
・・・ってのを伝えるために、この記事を書いているのではない。いわゆるこういうテンプレな自由研究、必要か?という疑問を呈したいためだ。
そして代わりに僕が提案したいのは、『10,000円稼ぐ』といった、カネというより価値を生むような何かを、自分でやってみることである。
以下、その両方について、きちんと理由をつけてみる。
模範的『自由研究』の"無意味さ"。
塾生の応援にということで、毎年各中学校の文化祭に行く。そして目にするのは、『自由研究』を発表しているブースだ。
カブトムシの成長記録。台風の進路予測。色んなものを燃やす。ダンゴムシの食事。電池になる身近なもの・・・・・。
確かに見てて面白いのだが、このラインナップ、何か気付くことはないだろうか。
言葉を選ばずに言ってみる。
これらは僕らが子どもの頃から人気だったし、ネットでサクッと過程も結果も拾えるものばかりである。
つまり、ズルしようと思えばものすごく簡単な類のモノだらけなのだ。
(今や自由研究代行みたいなサービスもあると聞いた。特に中学受験・高校受験をする生徒にとっては、時間の無駄と捉えられても致し方ない気はする)
もちろん、自由研究そのものの意図は重々承知している。だがそれ以上に、大半のそれの無意味さも重々承知している。
何故かというと、自分がわざわざ長い時間と手間暇をかけずとも、どっかの誰かがとっくに行い、ブログが何かにまとめているに決まっているためだ。読む方が早い。
いわば、集団・車輪の再開発である。
ただ、こんなことを言うと、
『子どもたちの自由な発想を尊重し、己の力で仮説を立て、検証という能力の育成が狙いなのだ!浅薄な知識で口を挟むなゆとり教育!』という批判が来そうだ。
まぁ、スルーしますけど。
―僕は本来自由研究とは、『極めて個人的で、かつ結果の予測が立たないことを突き詰める』のがそうだと考えている。
これを踏まえれば、極論『毎日ハンバーガーを食ったら身体はどうなる?』とか、『夏休みに僕の身長は何cm伸びる?』とかのが、本来の狙いにマッチしている。
そして贅沢に、その狙いにさらにプラスして、『価値の創造の楽しさと難しさ』も子どもたちに知ってほしいと願うなら・・・。
僕は、『10,000円を自力で稼ぐ』という課題が、最もそれに適っていると考えている。そういう話なのである。
もちろんこれは強制するべきものではないが、提案としては大いにありである。
以下、さらにその理由と効果、そして提案例を書いてみる。
『10,000円を自力で稼いでみた』
実は特に中学生までは、非常に大きなハンデがここに存在する。
原則だが、アルバイトができないのだ。つまり、最速最短の手段は封じられている。だからまず、ここから知恵を使わねばならない。
次に浮かぶとすれば、Youtubeとかで広告収入を得るというしたたかな考えだろうが、まず夏休みの間なんて短い期間で、そんなコンテンツが創れるとは思えない。
得られて1円とかの世界、早々に心が折れるに違いない。もちろんそれは、ブログも同じである。―では、どうすればいいだろうか?
次に浮かぶとすれば、自分の持つネットワークに対し、自分の能力を売ることであろう。
シンプルなところなら、『お手伝いとして〇〇をするから〇〇円ちょうだい!』みたいなものである。―しかしこれもまた、10,000円稼ぐには遠いだろう。
さて。ここまで色んな考えを封じられると、そろそろ自分の常識の外の世界に目が向くようになると僕は考えている。
以下、適当ではあるが、僕が小学生に戻ったらどんなビジネスを考えるか、列挙してみる。
①カブトムシを採らせます。採れたら一人100円はください。
②夏休みの自由研究手伝います。1時間100円ください。
③宿題代行します。価格は応相談。
④親戚の集まりにはもれなく顔を出し、さりげなくバスケットを横に置いたうえで、手品か何かをします。(投げ銭狙い)
⑤お爺さん、おばあさん、組み立て切らないものを組み立てます。重いものを運びます。犬の散歩もします。1時間500円くらいで僕を何でも屋として雇いませんか?
・・・みたいな。全部『タダでやれ』と言われそうだが、こっちは稼がねばならないのだ。勘弁してくれぃ。
こんな風に、自分が提供できる能力でどう価値を生むかというのは、非常に面白いが、非常に難しいタスクなのである。
実際、僕もこのブログではまだ、一銭も稼げていないのだ。(まぁ、直接稼ぐ気もないのですが)
―尚、専門知識に強いのなら、『アプリを作成する』こととか、『クラウドワークスを利用する』とか、色々と手は打てる。
これを課題として出すからには、説明責任は結構重いと思うのだが・・・。もはやマンネリ化してきた自由研究のスパイスとして、どうだろうか。
では今日はこの辺で。