精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

優越コンプレックスにハマった結果、友達を全員失いかけたっちゅう話。

僕は病的に自尊心が低かったというのは、過去に何度か書いたことがある。

 

自分が【劣等】だと強い自覚があったからこそ、大学受験を始めとする得意分野で逆転を狙ったものだ。

 

しかし、それを果たしたとしても、さらに上の存在があり、それらとの比較で自分を追い詰めていく日々・・。生きてて辛かったろうなと思えて仕方ない。

 

今は不毛な競争からさっさと逃避しちゃうのでマシになったが、心理について無知だった高校の頃は、このコンプレックスに強く強くハマってしまった。

 

結果それは、【優越コンプレックス】という形で発露し、最終的にマジで友人を全員失いかけた

 

今日はそんな日々を、墓地に葬り去ってゲームから除外するべく、記事にする。

 

 

【優越コンプレックス】とは?

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簡単に言えば、自分のプライドや自尊心を守りたいあまり、『偽りの優越感』で他者にマウントを取っていると錯覚することである。

例えば、過去の成功ばかり自慢したり、著名人と会ったことがある話を繰り返したり、あらゆる話に対し評論家ぶってみたり・・

 

聞いていて反吐が出る。でも、これは『自分に自信が無いことの綺麗な裏返し』なのだ。

 

―そして高校生の頃、僕は典型的な『優越コンプレックス』であった。思い出すだけで死にたくなるし殺したくなる。

 

だからせめてここに葬る。以下、生生しい実例である。

 

【優越コンプレックス】から足が生えたかのような男。

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記憶の最初は、高校2年生の頃である。部活にも属さず、モテず、いわゆる底辺のクラスターをさまよっていた僕は、自尊心がだんだんと失われていったのだと思う。

 

―まず最初に僕の心に刺さったのは、いわゆる【高望みする女子】をバッシングした記事だ。2010年くらいはそれがマジで盛んであった。

 

気付けばそれを読み漁り、その実情を論破する記事に心が躍ったのを覚えている。今はそんな自分が情けない。絶対に友達になりたくない。

 

―そしてそれについて友達と論戦をしていると・・・勘違いする日々が始まった。一方的に【俺は違う目線で物を語れるぜ!】とうそぶいていただけ。

 

うーむ、当時の俺、嫌いだなぁ・・・。

 

後はもう芋づる式だ。気付けば僕は、当時全盛期だった2ちゃんまとめブログを読み漁り、世の中の様々な矛盾にバッサバッサと切りかかるコメントに酔っていた。

 

―それが完全なるポジショントークであり、表面だけ見せられ踊らされていることになど全く気付かずに・・・・・・・。

 

僕のお気に入りフォルダには、【炎上まとめwiki】を始め、様々なまとめサイトがぶち込まれた。毎日5~6のそれらを見て、心慰められる日々。

 

・・・書いている今、目頭が熱くなってきた。弱くて惨めな自分に対する怒りや哀れみが混ざり、胸の奥がぐちゃぐちゃになっている。

 

それでも当時、その話をスルーしてくれた友達には、非常に感謝している。心の底からそう思っている。今度ご飯をごちそうさせてください。

 

さて。今こんなことを書けているということは、少なくともそのどん底からは脱しているということだ。では、何がきっかけだったか?

 

実のところ、【優越コンプレックス】から脱することができたことへの心当たりは数点ある。続いて、それらを書いてみよう。

 

僕はなぜ【優越コンプレックス】を脱せたか?

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まず直接の契機は、そういったサイトから強制的にアクセスを断たれ、習慣が途切れたことだ。

 

その理由は【大学受験】である。そんなサイトを読みふける暇は無い。現代文の問題や英文に読み疲れた僕は、さらに読み物を重ねる余力など無かったのだ。

 

その期間が半年ほど続き、【ほにゃ速】みたいなサイトの一切を断った僕は、『では改めて!』とその習慣を復活させることはなかった。

 

大学に受かり、一旦自尊心が満たされたためだ。ここは完全なる偶然。たま~に思い出したように読んでみても、何が面白いのかわからなくなっていた。不思議である。

 

―そして、そこから完全に抜けることができたきっかけは、まず間違いなく『読書』にある。

 

大学3年の頃に読書が習慣となり、大体100冊以上を読んだあたりから、自然と炎上しているニュースや発言に対し、『真意は何だ?』と考えるクセが付いたのだ。

 

当時はビジネス書やドキュメンタリー、エッセイを中心に読んでいたので、そういう『ありふれたことへの別目線による洞察』が自然と身に付いたのかなと感じる。

 

そうやって、『表面的な解釈の愚かさ』や、『真意の面白さ』を学んでからは、僕はそういう【優越コンプレックス】にハマることは無くなった。

 

一瞬ちょこちょこ、他者の弱みに自分の優位をぶつけマウントを取りそうになる自分があっても、それに気付き止めることができるようになったのだ。

 

例えば、TOEIC600点超えました!という報告に、自分のスコアを言いそうになるカスな自分を抑え、『やるじゃん!』と素直に喜べるようになった具合である。

 

結局、地球上・歴史上には自分より上が必ず存在するのだ。それを僕は知らないだけ。

そんな状況なのに解釈で目の前の人間に勝ったとて、状況は全く変わらないのだ。

 

競争的な考え方は、大人になってから無分別で抱えていると愚かだぜ。

 

―ってことで、今の僕は、偶然の要素も強いが、結果【大人】になれているのだろう。

 

そうじゃなければ、今でも暇さえあれば炎上ニュースや芸能ゴシップを読み漁る、少し可哀そうな人であり続けているはずだ。

 

躍起になって勝とうとするのを止めたら、人生は非常に自由で楽しい時間に変わりました。これは老若男女関わらず伝えたい真理である。

 

―そんな僕なので、生徒の様子について、ネガティブな方に振れているかどうかはもちろんのこと、やたら【優越】をアピールしてないかにも気を配っている

 

その末路は、想像に難くないが悲惨だからだ。(その理由は以下にまとめております)

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

介入できる部分は超少ないが、知っておくだけでもだいぶ違う。参考にされたし。

 

―ってことで、書いてて重く辛く目から汗が出そうなテーマであったが、誰かの学びに昇華できていれば嬉しい。

 

とりあえず今、あの頃の僕は墓地に行き、さらにゲームから除外されたことだろう。二度とデッキに戻らないよう気を付けます。

 

ってことで今日はこの辺で。

 

※当時優越コンプレックス脱出に強く効いたと感じた本は、以下の3冊です。よろしければドウゾー

 

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