頭痛は治ったが、ダルさだけが見事に残り、やっぱり少ししんどい。
そんなワケなので、今日も素直に短編で記事を書いておく。
今回のテーマは、ぶっちゃけ大人になった今でも『やる価値』を見いだせないカリキュラムについて、『どうなんすかね』という意思表示をしてみようと思う。
単なるものぐさの戯言と取るか、確かになぁと取るか。人によると思うけど、気にせず書いてみようっと。
書き順
子どもの頃から実は価値を感じていなかったことだが、大人になってますますその意を強くしている。
まず、こういうデジタルで文字を表現できるツールが登場したことにより、少なくとも手書きの字が汚いことによるデメリットはほぼ無くなったとみていい。
―そもそも書き順とは、『この順で書いたら綺麗に字が整うよ』と誰かが言いだしたのを、個人差を無視して全体に導入しているようなモノである。
つまり、合う合わないがある。というか僕は、最終的に出来る形が同じなんだから、書き順とかクソどうでもいいと、やっぱり考えている。
僕みたいにサボった人間から『書き順が違うww』とマウントを取るか、入試で点を頂くかしか、使い道は多分ないだろう。
文字を書くのが好きな人はそうすれば良いだろうが、そうじゃない僕は、早く滅んでくれないかなとずっと考えている。
俳句・短歌
ここは賛否両論だろうが、僕はこと『中学国語や高校古典』で出てくるレベルの俳句・短歌には懐疑的である。
切れ字・置き字・反語・詠嘆・掛詞・枕詞・・・・・・
『趣味で深めろや』としか思えない専門用語が大量に登場し、どうしても辟易する。例えば『破調』と言う言葉は、テスト以外で使ったことは無い。
日本文化として紹介するのは別に良いだろうが、それをカリキュラムとして組み込み、特に興味もないのに専門用語ばかり詰め込むのって本当にどうかと思う。
とりあえず僕はやたらと枕詞を作ったとされる柿本人麻呂には、敬意より軽い敵意を覚えてしまった。
高校英語の難度が高いとされるヤツ大体。
僕は普通に暮らす人よりかは、職業柄もあって色んなジャンルの英文を読んでいると思う。
だが、長文を読めば読むほど、詰込みの英文法偏重教育って役に立たんなぁという意が強くなる。何故か?
例えばどの参考書にも、『ought to』という文法は載っている。『should』と同じ意味だという説明も添えられているため、なるほどすごく使いそうな印象を受ける。
―ハッキリ言うが、私立・国立大学や、上級公務員の問題以外で、それを見た記憶は皆無である。
それは他の大抵の文法も同じ。 No sooner .. than とか、CVS倒置とか。
正直、高校英文法でバリクソ勉強しとくと良いのは、分詞構文・関係代名詞くらいだと言い切って良い。
この2つは確かに、長文を読んでてもポコポコ出てくるので、色々と学習しとく旨味はある。
しかし他の文法は、英国人が『如く』と『如し』の違いを真剣に悩むくらい、なんか違うような気がしてならない。
英語への興味を見るためとかそんな狙いかもしれないが、古典を勉強しても日本語のスキルがそのまま上がりはしないように、やはり違和感がある。
この辺のもやもやは、『そういうもん』で片付けないように気を付けたいと思う。
終わりに。
なんか文系科目ばっかりになったが、これは単に僕が理数に無知だからに他ならない。
門外漢から見れば、理系の人間が半べそかきながら化学や物理をやる意味は、ま~ったく理解できない。丸ごと要らんやんけと思ってしまう。
―今年から、小学校の社会のカリキュラムが変わった。噂によれば、高校英文法のいくつかが、中学文法に降ってくるような調整もされるのだという。
ならば何かを消せよ、と。増やすことだけがアップデートではないはずだし、多分皆気付いているハズなのだが・・。どうなんでしょ。
ま、以上ただのグチでした。