『小説』や『物語』が受験に問われることについて、疑問を呈する生徒は多い。
聞けば、『ただの趣味なのに、なんで?』とか、『普段から小説が好きな人の方が圧倒的に有利じゃん!』とか、まぁそんなである。
さて。
僕自身は『物語を通じて人間としての深みを・・』というのは公教育に丸投げというタイプなので、もっとドライにこの辺と常々向き合っている。
テクニック重視な教え方はするが、そればかりに偏重しないよう気を付けながら。でも、時にはモチベーションを高めるような小噺も考える。てな感じ。
そして最近、『あ、コレか!!』と確信を持つくらい、生徒に刺さる話をすることができた。同意のラッシュに、ぶっちゃけ気分がよくなるくらいに。
今日は何を僕が話したか、シェアしてみよう。
まず、物語で高得点を取るには、『主観を廃して、客観的な描写から登場人物の感情を論理的に読み取る』ことが大切とされる。うーん、よくわからない。
だから僕は、『俺ならこう思う、と思った時点でアウト』というのを常々言っている。
登場人物が笑っているときは、嬉しいに違いない!―なーんて思ったら外れるように、高校受験であっても上手に作ってあるものなのだ。
つまりこれは、入試作成者側として『主観で物事を考え、1の情報を100に膨らますヤツ』を落とす狙いがあるような気がしてならない。
さて。
この『主観で物事を考え、1の情報を100に膨らますヤツ』は、実は”あるところ”で見ることが可能である。
それは、Twitterで炎上中の案件に関するコメント欄だ。例えば、こんな感じ。
ある人が、『漢文って必要ですか?』みたいなことをツイートしたところ、それに思い切り噛みつく人がいた。
『外国住まいのあなたには理解できないでしょうが、漢文を通じて日本のことを学ぶんですよww愛国心をもっと持ったらどうです?ww』
みたいな具合。ウィークリンクばかりを攻めて、かつ主観が非常に目立つのが特徴だ。煽った口調で、相手が感情的に乗ってくるのを狙っているのかもしれない。
―が、それに対するレスは、非常にキレイな論破であった。
『ご存知ないでしょうが、漢文を通じて学ぶのは、中国の思想や文化です。愛国心の意味、理解していますか?』(的な)
はい。これはもうぐうの音も出ない。少なくとも外野である僕から見れば、『はい、勝負あり!』である。
―ということでそろそろお分かりだろうか。
小説で点を取れない人の思考は、大抵主観で物事を捉え、思い込みでそれを膨らませるようなプロセスである。つまり、客観的というのがよく分かっていないタイプ。
この思考法が全開だと、正直言って上記のそれみたくあまり相手にしたくない人間が出来上がる。
だからそんな悲しいことにならないよう、小説の読解を通じて鍛えときなさい。
僕は生徒に、そう諭した。
ってことで、もし物語をする意義に対して疑問を持つ生徒がいるのなら、ここに書いた小噺は参考になるかもしれない。(もちろん、ならないかもしれない)
なんかのヒントになればありがたし。小説を滅多に読まない僕からの独り言でした。