精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

そういえば僕、英語の成績で5を取ったことがないんですよ。

僕は現在、英会話講師ではないが、自分が持つ『日本の教育で求められる英語』についての知識なりなんなりを売り物にして暮らしている

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国語と社会も教えているが、一番自分がハッキリと『売り物感』を抱けているのは『英語』である。

 

―そんな僕だが、実は英語の成績で『5』を取ったことは人生で一度もない。4は何度かあるんですけどねー。

 

それを阻んだ要因は、まあここでも何度か語っている『あの』システムですよ。今日はそんなおもひでを語ろうかなと思う。

 

 

ノート点に阻まれる『5』。

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ゆとり世代真っただ中なのもあってか、中1の学年末のテストのヌルさは今でもはっきり覚えている。

 

試験範囲はなんと『can』の用法一択。よくぞこれで100点満点の問題を作ったなと、講師業をしている今、凄く尊敬する。

 

そ~んな簡単な問題ならばと、僕は珍しく対策し、結果はなんと94点であった。ちなみにこれはクラス一位だったらしい。(100点いなかったのかよ)

 

名指しされ、皆の前でそれを伝えられる僕。『うへ~』と無邪気に笑う僕だが、直後に残酷な宣言を喰らった。

 

『でも、ノート点が無いため、5はあげられません』

 

改心のオチ。大爆笑のクラス。そして、困惑の僕。人の話を聞かない僕なので、ノートの提出があることを、今の今まで知らなかったのだ!

 

当然リカバリーは不可で、そのまま『4』を頂いて終了。うーむ、むず痒い・・・。

 

たまたま得意なところに出くわし、点が取れそうな気がするテストなら、提出物は絶対に抜けが無いか確認し倒した方がええで!!

 

『5』が取れない学年一位、『5』ばっかりのクラス一位。

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高校2年の頃、音読学習に出会ったことが契機となり、僕の英語の点が覚醒した。調子が良い時は、進研模試で偏差値70を超えたこともある。

 

英語だけなら、学年一位にも、何度かなったことがある。しかし、成績で『5』を付けたことは無い。理由は簡単だ。

 

定期テストの試験勉強を一ミリもやってないからだ。する理由もねぇし。だから毎度安定して、点数は6~70点くらい。

 

酷いときは、全国模試の点の方が定期テストより高かったくらいだ。文法や長文読解は外さないが、教科書本文のマニアック単語・文法は、知らんので書けない。

 

すると、模試で学年一位の僕がテストは中間層で、通知表も『せいぜい3~4』であり、クラスで一番点が高いけど、模試が中間層の人が『5』という謎が出来上がる。

 

―僕は全然知らなかったのだが、テスト勉強を頑張って一位を取っても、進研模試でそうはいかないことに、その人は超悩んでいたのだという。

 

しかも先生はそれを阻む正体(≒僕です)を、いたたまれなさ過ぎてバラしちゃってたんですよねぇー。居心地、悪ッ!

 

勉強してる姿を見せないだけで謎の罪悪感。だからこの頃は、昼休みは教室から出て姿を消すよう心がけていた。

 

目的地は2つあり、まずは勉強してるふりができる図書館に向かうことが多かった。ただし読んでいたのは『サザエさん』である。

 

もう1つは、売店前の飲食スペース。よく友達とココアを飲みつつ、20分を潰したものだ。で、休憩終了ギリギリに、教室へ帰る、と。

 

・・・今思えば、成績で『5』がつけれるその女子の方が処世術に長けているので、これからの世を生きるのに向いているのは間違いないが・・。

 

当時の僕がそう言おうものなら、嫌味以外の何物でもない。リアル村八分になるのは目に見えていたので、気にしないようにして暮らした記憶がある。

 

―高校ともなれば、得意なだけで点が取れるほど甘くはない。『誰向けやねん?』ってくらいマニアな単語と文法を覚えて、初めて80を超えるのだ。

 

しかし、そこには結構な時間と労力がかかる。僕は推薦をハナから諦めていたカスなので、テスト勉強は最小限にし、ゲームがやっぱりしたかったのデス。

 

断言するが、定期テストのモチベが一番高まるのは、欠点回避か推薦GETかのどちらか。そのどっちも別に心配なけりゃ、勉強しませんよね。

 

こういうのもあって僕は詰めが甘かったため、やっぱり高校でも5は取れないままなのでした。

 

―余談だが、大学でも『秀』を取ったことは無い。『この程度ならノー勉でも良は取れるな』と思ってたからです。

 

終わりに。

 

そんなワケで僕は『5』を取ったことは無い。人生でも実は2~3回しかない。(『情報』と何故か『数学』)

 

しかし、僕は無茶苦茶カスなイメージしか通知表に抱いていない。要はあれ、『先生に好かれてる度合いを数値化したもの』だろうとしか思えないのだ。

 

そう考えれば、生意気でやる気のない僕が酷い数値で、テストは振るわないモノの取りなすのが上手なアイツや、結構な美人さんがあんなに高いのは納得がいく。

 

通知表に悩む人は多いけれど、僕は高校を過ぎたら死ぬほどどうでもいいやとしか思えない。

 

ってことで、通知表に過度に悩む中学生にはよくこういっている。

 

『変に性格を捻じ曲げるのではなく、これは演技だと、高校に入るための演技なのだと割り切っちまえ』

 

学校というフィールドさえ出ちゃえば、『5』であることに何の価値も無い。飲み会で話しても、イケメン以外のそれは『ただのウザい自慢』だ。

 

要はひとつの価値観に過ぎないのだ。病的に悩むのは、せいぜい18歳までにした方がええで。

 

今日はそんな、カスからの提案でございました。

 

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