―ってすごく思う。ネット等で拾った情報の受け売りは、なんか知らんけど聞いてて面白みに欠ける。(例外もあるけど)
何故かというと、そこにその人の経験が付随していないから。極端な場合、『そういうお前は試したのかよ?』と思ってしまう。
下手すりゃこれは、信用を失う結果にさえなり得る。貯信時代と言われて久しい昨今だ。ただ知識を横流しする奴は、仕事も価値もスマホに取られてしまう。
だから僕は、オリジナルの知識や方法だろうが何だろうが、必ず一度自分で実験してから伝えるようにしている。
そうすると、伝えるときの温度が変わるし、実は自分が一番成長できるためだ。一粒で二度美味しい。今日はそんなお話。
テクニック・マウント。
都市伝説かと思っていたが、『横文字とかすごそうな単語とか』を振りかざして悦に入るヤツは、どうやら結構な確率で周りにいるモノらしい。
『ここは出題者の意図を汲むんだよ・・ほら、一種のアナロジーじゃんか』
『あー、なるほど、はいはい。演繹法ね。弁証法に比べたら楽なもんだよ、論理的思考力とクリティカルシンキングさえできれば解けるって』
みたいな。敢えてクッソ盛ってみたが、似たようなやり取りはそこかしこで聞くことができる。胃が酸っぱいぜ。
相手が知らないであろう言葉を使い優位に立つような行動の深層心理は、無粋なのでいちいち解説しないが・・・。
こういうタイプに出会ったからと言って、自分は無学だと落ち込む必要はない。ただの暗記では勝てずとも、他にやりようなどいくらでもあるからだ。
それは、『実践』。これに尽きる。昔書いたが、やっぱり『知識』を『経験』に変えて、己にストックし続ける方が大事だと、スゲー思う。
ってことで導入はそこそこ、以下僕なりの実践例を書いてみよう。
いいからやってみろよ、死なねぇから。
散歩中やシャワーを浴びているときなどに、よく僕は授業に使えそうなアイデアを閃く。ただし、この時点だと使えるか否かは判断が付かない。
『説明文の理由記述って、大体抽象的な記述を具体的に説明している部分があるよな・・そしてそこが答えなこと、多くね?』みたいな。つまり仮説だ。
これをそのまま生徒に喋るなんてことは、僕はしない。無責任だからだ。実際に板書に起こしたり、本当にそうか入試問題に使ってみたり・・・。
そうして『イケる』と思ったものだけ、商品として生徒たちに伝えている。本当のところ、ネタの8割は没になって終わりだ。
それは、他者のアイデアでも同じ。
例え超大物講師の参考書にある教えであっても、自分にマッチしたものだけを、かつ一度使ってみて、それから初めて使わせていただいている。
―こうして色んなことを試してみてよくわかるが、結局一番トクしてんのは自分である。そりゃ、種々雑多の経験値のブレンド体なのだから、至極当然だ。
人に教えるつもりで知識を入れると、それだけでだいぶ定着度が増すし、アイデアの質も上がる。
もちろんこれも受け売りじゃなく、実際に試した結果、そう強く感じている。
確か『大局観』にも書いてあったが、情報を吸収するばかりでは『情報メタボ』になって終わりだ。
どんどん試し、自分の血肉に変えてしまおう。そういうことを推奨する雰囲気を、難しいけど自塾に広めたいな。
ってことで今日はこの辺で。