精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

子どもが嫌がっているのは、"勉強そのものでは無いかもよ"説。

『勉強しなさい!』『嫌だ!うるさい!やるもんか!』

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―多分今も日本のどこかで、この問答が行われているのだろう。そんな気がする。

 

こういうすったもんだの日々に疲れてくると、結構以下の愚痴がポロポロっとこぼれてくるようになる。

 

『うちの子、勉強が嫌いなんです・・・』

 

なるほど。先の問答だけ切りぬけば、こういう帰結になって当然だと言える。しかし、僕はこの結論に結構ダウトである。

 

そう思う理由を述べるため、少し僕の過去と現在を紹介しよう。

 

僕はハッキリと、小学校の頃は勉強が嫌いだった。意義も感じないし、ゲームの方が100倍面白かったからだ。受験とか存在すら知らなかった。

 

中学の頃も嫌いだった。時たまやる気を出すことはあったが、それは『これなら少しがんばりゃ、良い点になる』と思えたときだけ。

 

高校入試も、多分偶発的な要素が無ければ、必死こいて頑張ることもなかったんだろうなと思うわけで。

 

―断言するが、高校の頃も、別に勉強は好きじゃなかった。今でも、高校で教わる科目と単元とは、大学に入れてもらうために仕方なくするものだと、少し思っている。

 

・・・では、今はどうか?実のところ、僕は今、勉強そのものは好きである。ただし、主要5科目の勉強は相変わらず嫌いだ。

 

では、その差を分けるものは何なのか?以下、その続き。

 

 

僕は『主体的な勉強』が好きなだけです。

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先にパっと言っちゃうが、僕は『主体的』、つまり『自分が単に知りたい』というのが動機の勉強は好きである。

 

例えば今、必死こいて読んでいる本が数冊あるのだが、その動機は全て『もっと仕事で成果を出したいがため』である。

 

それ以前には、単に僕が憧れる方々の人となりが知りたくて本を読んでいた時期もあるし、単に著者が好きでその関連本を漁っていた時期もある

 

タイトルだけ見て、自分の悩みの答えが書いてありそうだと期待して読んだ本もあれば、単に興味をそそられて手に取った本もある。

 

―こんな風に、僕に限らず誰でも、『知りたいなぁ』と思ったことはジャンルや方法を問わず、見たり聞いたり読んだりして調べた経験はないだろうか?

 

もっとうまく敵を倒すには?必要な武器の素材はどこで手に入る?あの投手の決め球を打ち返すには何が必要だ?本当にそれこそ種々雑多

 

断言するが、『これは自分にとって要るものなんだ』と思えるものの勉強は、非常に熱量を伴って深堀できるものである。

 

―そう考えれば、『勉強』という定義をもっと広く捉えると、色々と最初の帰結が疑わしいのがちょっとずつ分かってくることだと思う。

 

人は『コントロールを奪われること』が嫌いです。

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少しだけ脱線し、思考実験を入れてみよう。

 

今ハマっていることを何か1つ浮かべてみてほしい。無ければ、趣味でも仕事でも何でもいい。

 

そしてあなたがそれにゴキゲンで取り組んでいると、頼んでもないのに、助言という名のもと無茶苦茶たくさんのコメントをくれる人が現れたのを想像してほしい

 

『そのステージはもっと楽にクリアする方法があるんだってば』『そんなレベルじゃ甘いぞ~』『この攻略本がオススメだ』『URL教えるから、この動画を観て勉強しんさい』『俺は昔、こう苦労したんだよ・・・』『あぁ!今のはもっと要領よくイケるって!』『このグッズオススメ!マジ試してみて!』

 

 

 

 

・・・・。

 

 

 

 

 

うぅるせぇええぃいいい!!!!

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好きな対象のハズなのに、口を出されれば出されるほど嫌いになるのは間違いなし!

 

はい。もしこのやり取りにイラついたのだとすれば、それが自然でそれが正解だ。

 

そう、『勉強しなさい!』というフレーズに子どもが抵抗しがちなのも、実はまた同じ理由である。

 

僕は精神年齢が低いからこそよくわかるのだが、未だに自分の裁量が及んでいない業務を振られることが無茶苦茶嫌いである。

 

具体的には、僕に一言の確認もなく、時間が空いているように見えるというただ一点で仕事を放り込んでくる感じだ。

 

おかげさまで過去何度か、結果休日出社や出社前労働を余儀なくされたこともあり・・・。さすがにそれは、下っ端とはいえ苦言を呈させてもらいました。(是正済み)

 

―人はそもそも、『誰かにコントロールを奪われることが嫌い』なのだ。これは絶対に覚えておいた方がいい真理。

 

もちろん中には、全部人に放り投げて、それをなぞるだけの人生を選択する人もいるが、そうすることを選んだのは自分なので、実は結構主体的である。

 

ということで、『勉強しなさい!』に対する『嫌だ!』が意味することは、もしかしたら、

 

『(言われたから勉強するという状態が)嫌だ!』という意味の可能性もある。というより、ほぼコッチな気さえする。

 

こうなるとかなり厄介だ。少なくとも、劇的な改善を望むなら、当事者ではなく第三者の介入や、手をガラッと変えることが必要だと思われる。

 

例えば保護者が目の前で何かを楽しそうに調べる姿を見せるとか、毎日の様子を聞いてあげるとか、そっちの方が遥かにマシで、学習や意欲向上の効果も高いのだという。

 

今一度、命令が生む『勉強嫌い』になっていないか、見つめてみてはどうだろうか。

 

では今日はこの辺で。

 

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