調べてみたところ、『ADHD』を持っている生徒の割合は、ざっくり10人に1人らしい。
この記事によれば、この数値は平成18年から平成25年にかけて6倍とかそれくらい増えているのだという。
―ちなみに、なぜこれはそうなったか?遺伝子の変容とかいうトンデモ医学を持ち出す人がいるが、変わったのはむしろ社会の性質とかそっちらしい。
要するに、『ADHD』という言葉の認知度が高まったこと、研究が進んだこと、そして診察基準が設けられたことなどが最たる理由では、とのことであった。
確かに、平成18年とは僕がまだ高校生の頃の話だが、当時『ADHD』なんていう言葉は全く知らなかった。
・・・また人間(特に子ども)とは残酷なもので、『自分たちとは違う人間』が居ると、よくも悪くも興味や関心を持つものだ。
『帰国子女』とか『留学生』、『転校生』等もそれに該当する。『ぼくたち』ならざる者に対する目は、時たま厄介な方向へ転ずることさえある。
―となれば、学校における『ADHD』等に対する目が厳しくなったのは、僕が思うに、単にそういうカテゴライズがされるようになったからだと思えて仕方ない。
10数年前なら、『元気なヤツ』『おもろいヤツ』『不思議なヤツ』で済んだ存在が、そうもいかなくなっているのだろう。
教育熱が高まりつつあるのも遠因な気がするが、そこまで行くと話が反れるため割愛。
・・・こういう状況を踏まえると、『落ち着きがない子ども』に対する理解や特別指導だけでは不十分だとよくわかる。
とはいえ、スルーの技術をいい加減に教えても、『無視』という最悪な同調圧力を生むことが、容易に想像できてしまう。
理想は一体となってそれを許すクラス運営だが、私塾の集団クラスでは、生徒と接触する時間が足りなさ過ぎて現実的じゃない。
ではどうするか?授業内容を工夫するのも一手だが、もっと色んな方向からアプローチしたい。
そんなワケで、今日はまだ試す段階にすらないことに対する話だが、脳内整理を兼ねてここにシェアしておく。
【生徒に言う必要はないけれど】知っておくべき事情。

ADHDと診断された生徒の様子や、実際に行動の理由を尋ねた結果等をまとめた論文が、ちょこちょこと上がっている。
https://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_b/b-180/b-180_03.pdf
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/kyoiku35-04.pdf
―ここを見ると読み取れるのだが、その行動に悪意はなく、かつ自分の意志でコントロールができないのが特徴だと言える。
掻いちゃいけないとわかってるのに痒いところを掻くとか、口内炎をベロでぺろぺろしちゃうとかって行動と、次元が近いのかもしれない。
悪意があってわざとならば、それは集中できるできないとは全く別物であり、専門知識も近くも持たない講師に出来ることはマジで無い。
―ってことで、診断の有無はさておき、【こちらから見て】問題と思われる行動がなかなか直らないときは、
『そういうものだ』
・・・と捉えておくのが一番精神に良いと言えそうである。
スルースキルを講師が鍛えておくべき理由。

あまり詳細に思い出したくもないので、ぼんやりした知識を書くに留めるが・・・。
10数年前、教師までもが加担したイジメがあり、その生徒が自殺したという事件があった。
―これを通じて思うのが、講師が特定の生徒に敵意を剥きだしたとき、『ソイツは攻撃しても良いんだ』と解釈するクラスメートが出ることもあるという冷酷な事実だ。
確か『大河の一滴』内の記述だと思うのだが、『ホームレスは汚いものだ』という価値観が広まった結果、ホームレス狩りを『正義』と考える若者が増えたのだという。
大義名分の危う過ぎる側面を色濃く表す話と言える。
実際、荒れたクラスを立て直す系の本を読むと、授業内にそういう生徒の相手をするのは厳禁―みたいな書き方が多い。
反発はスルー。迷惑を掛けたら『行動』を注意する。それでも止めないときは、他の生徒に指示を出したうえで、別の場所で話を聞く。
それが施策としてはメインだった気がする。
つまり、一挙手一投足を取り合ったり、感情的に反応したりすると、心を病むだけじゃなく、爆発的にクラスが荒れていく原因になってしまうことがあるのだ。
やはりスルースキルは、講師にマストな技量な気がしてならない。
具体的な鍛え方とは?
―そもそも僕自身がまだまだ『心が幼い』人間なのと、不安的に物事を解釈するクセが強いという特性があるため、ロクなことは言えないのだが・・・。
今試そうと思っているのは、『瞑想』の習慣化である。
誤解を承知で言うが、感情を切り離してドライに考えることが得意なのは、サイコパスと仏教徒なのだという。(仏教徒はサイコパスなんて一言も言ってないのに注意)
前者は才能だが、後者は修行の賜物だ。ではその修行を真似すればいい。
毎日10分程度だろうと、累積で数時間になると集中力の向上等が見られるらしいので、まずは習慣とすることに重きを置いて、効果のほどはまた後程・・としたい。
終わりに。~無視とスルーは違います~
最後に、念を押しておきたいこと。僕は『スルー』は必要だと思うが、『無視』は最悪の手段だとも考えている。
無視とは、その人の全てに取り合わないこと、価値を認めないことである。
一方スルーとは、どうにもならないことには意識を向けず、良いところ・望ましい点は逃さないことだと捉えている。
ここを履き違えれば、色々と『失格』となってしまうので、気を付けないとならない。僕も日々、自戒します。
では今日は、この辺で。