『ラクをする』という言葉を聞いて、どういう感想を抱くだろうか。僕は綺麗に二分されると思っている。
①『ふざけるな!どんなことでもコツコツと、汗水たらして働くことが尊いんだ!』
②『良いことだ!1の努力で10を生めるなら、そっちの方が良いに決まっている!』
―何度か言っていることだが、僕は今の時代・世相がまさに過渡期だと感じており、僕自身も②の方にかなりのウェイトを置いている。
というか断言するが、『創意工夫』は『根性論』に勝る。ある但し書きは必要だが、僕はそう考えている。
今日はそんなお話。
『努力』が褒められるのは中学まで。
『結果』ではなく、『過程』を褒めると子どもや部下が伸びると言われる。『この頑張り、良いね!』みたいな話である。
それ自体を否定する気は全くない。確かに、そもそも勉強や仕事に意義・やる気を見出せてすらいない状態の人には、かなり効く話だと思う。
・・・だが、それがある程度の年齢になっても続いていたら少し問題である。具体的には、『褒められたいから努力する』モードになると、厄介だな、と。
正直、高校受験までであれば、『努力量』=『結果』がまかり通る。だから、やり方はどうあれ、"頑張ってさえいれば"結果は出る。
・・・ただし、大学受験とか仕事とかになればそうもいかない。方法が間違っている限り、いくら努力に投資しても、結果は面白いほど出ないのだ。
例えば、教科書の太字語句を延々とノートへ1000時間以上まとめれば、みんな東大へ行けるかと言われれば、そんなアホな話は無いとわかるだろう。
ーだが、そこまで極端ではないにせよ、似たようなことをしている生徒はまだまだ多い。
彼ら彼女らから、『時間をかけてるのに点が伸びないんです・・』と言われるたび、『ゼロに何を掛けてもゼロだから当然じゃね』という猛毒を吐きそうになってしまう。
一方、やり方さえ合っていれば、例えば間違った学習法を10時間やった生徒が出す結果を、2時間ちょいで出すことも不可能ではなくなるのだ。
『根性論』の限界と、『創意工夫』の伸びしろが感じられて仕方がない。模試の成績判定表に、『努力量』なんて項目は存在しないのをお忘れなく。
・・・そしてそれは仕事でも同じだ。ある作業を一瞬でできる方法があるのに、それを『手を抜いている』と言われるのを恐れて使わないのって、本末転倒が過ぎる話。
実際僕も未だに、『これってもっとラクに速く行う方法、無いかなぁ』と、ことあるごとに考えるようにしている。
こないだも、印刷したWordの資料の右上に手書きで30人分くらいの名前を書くのがアホ臭くなり、色々調べたところ、解決策はすぐに見つかった。
最初だけ手書きのヤツより時間が掛かったが、次回以降はマジで10分の1以下の作業時間で終わる。
やっぱもっと頭を使った方が得だなと、つくづく実感できた出来事であった。
―ということで、『努力の名のもとに、時間をただ浪費していないか?』というのは、受験生とか社会人とか関係なく、常に持っておきたい目線だと言えそうである。
『正しい努力』とは何だろう?
とはいえ、難題に対し『つべこべ考えず良いからやる』という意見もあり、それで結果を出している人も勿論多い。
これは、見方を変えれば根性論を肯定する強い材料ではなかろうか?
―実はコレが効果を発揮するには、ある条件がある。それが冒頭にも述べた『但し書き』にも通じるのだが、経験値の有無だ。
自分がある程度経験値を持ち、かつ別に創造性を要しない分野であるのなら、ハッキリ言って良いからサッサと始めた方が早い。
例えば僕で言えば、釣りやキャンプによく行くので、とっとと『どこで何を釣ろうかしら』とか考えた方がサクサク立案が進む、という話である。
では逆に言えば?―そう、経験値がほぼ無ければ、『創意工夫もクソもない』という話なのだ。
社会人1年目、バイトの経験すらない新人がいきなり、属した組織に改革を訴えても仕方が無いのと似ている。
全てのそれを肯定するわけではないが、自分なりの問題意識をストックし、かつ経験値を多量に積むため、『根性論ベースの仕事や勉強』は、ある程度までは必要なのだ。
実際僕自身も、社会人1~2年目は馬車馬もひくレベルで働き倒し、結果心を病んだり、したくないこと・したいことの輪郭がハッキリ見えたって思い出もある。
だからこそ、そこで見えた地雷とか教訓とかを活かしながら、今の働き方に落ち着いているという話なのだ。やはりまずは、経験値であろう。
前もどっかで言ったのだが、ロクすっぽ経験も結果もないのに『根性論とかププッ』と斜に構えても、胃袋が酸っぱくなるだけだ。
スマートに仕事をしているように見える方々も、内面では膨大な思考プロセスや裏打ちが存在しているのをお忘れなく。
無理やりまとめれば、『根性論の勢いで考えて、出た結論を基に、行動は創意工夫を凝らす』のがちょうどいいのではなかろうか。
斎藤一人さんの言葉(だったかなぁ)を借りれば、『頭で汗をかく』ということだ。
テンパっているのなら、まずは一度、数分で良いからもっと早くする方法を考えるのが大人も学生も良いのかもしれない。
―ということで、今日はこの辺で。