精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

『英語講師』の敷居を下げないと、教育現場は十中八九パンクするとしか思えないのですが。

2021年度より、英語のカリキュラム(小~中)が大きく変わる

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チマチマした話はもうネットに有象無象なので、細かい話はここでは引用した記事にぶん投げることとしよう。

sakura19.net

 

―まぁ一番血の気が引くところだけ書き出すと・・・。

 

① オールイングリッシュの明言(とはいえ、ある程度の日本語アシストは良いらしいけど)

 

② 単語数爆増

 

③ 高校英文法(現在完了進行形など)のいくつかが中学英文法へ

 

てな感じ。

 

ぶっちゃけ、相応の期間を使えたり、他の単元を削ったり、先天的に苦手な子たちへのフォロー体制が作れるのなら、この辺の改革は別に歓迎するし、対応もする

 

しかし僕がやっぱり懸念するのは、自分も含めた『教える側の負担』である。

 

正直、文部科学省が発表したことを100%実現しようとなると・・・・断言するが、そんな余裕は日本に無い

 

今日はそんなお話だ。

 

 

実用的英語を知ってて、使えて、ネイティブとコミュニケーションが取れて、さらに教員免許を持つ人でかつ教員を志す人!

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この項のタイトルを見てほしい。そんな人、いるとお思いだろうか?

 

だが、結局この改革を実施する側に求められるのは、この要素全てを満たす人なのである。教育学部必修カリキュラムに、留学が入りそうな勢いだ。

 

ちなみに僕は英検1級こそ持っているものの、留学経験もなく、会話経験に乏しいし、教員免許も無いので、色々と失格である。

 

文法や単語の知識はそれなりに持っているが、『そんなん良いから、活きた英語を教えろ!!!』という感じなのだと思う。

 

ま、これもまた時代だし、僕ら私塾は、公教育から良くも悪くもこぼれた生徒たちを相手にするのが商売なので、生きる道はまだあると考えている。

 

・・・僕が悲惨だと考えているのは、今現在の教員や、教育学部の生徒たちである。

 

特に、ちょい前の大学試験制度下で、英語を苦手としながらもギリ滑り込んだ方々だ。

 

昨今の英語に対するすさまじい熱量は、そういう『教えたいけど英語が苦手な方々』の息の根を止める結果になりやしないかと、ぶっちゃけ少し危惧している。

 

言い換えれば、『先生になりたいけど英語ができないから諦めた』という層が、最終的結構出ないかぁ、という懸念である。

 

何というか、一人の人間に何でもかんでも押し付けすぎという、至極当たり前の話が出てきてしまう。

 

この辺は、全てのことができないと入れない学校を出てきた方々には、見えづらいところなんだろうなぁ。

 

 ―ではこれをクリアするにはどうするか?僕は、課題は山積だが2つの方法があると思っている。

 

① 移民の積極的な受け入れ

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外国語ができる人を育てる環境を創るに際し、外国語を母国語とする人が周りに少ない印象をまだまだ抱く。

 

ちょいと調べたところ、日本全体の人口に占める外国人の割合は約2%ほどで、数は以下の通りらしい。

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https://university.globalpower.co.jp/2093/



島国だってのもあるだろうが、別にこれは世界的に見たら決して高い水準ではない。(アジアが全体的に低く、中国に至っては0%っていうデータが興味深い)

www.swissinfo.ch

 

―ALTという存在はたまに見かけるが、各学校にせいぜい1~2人というのが僕の周りの印象だ。地方に来る人は、やはりまだまだ少ない。

 

だからこそ、英語が流暢に出来る人間が育つのを待つよりも、出来る人を連れてきた方が早いし、よっぽど外の世界のことを学べるのになと思ってしまう。

 

 

② 英語講師の敷居を下げる

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僕は公教育機関で授業をすることは出来ない。免許を持ってないためだ。いくら『英検持ってんだからやらせろやぁ~』と言っても、現行の制度下では無駄である。

 

これって勿体ないよなぁ、と。僕ができないのは別に誰も困らないだろうが、例えば外資系企業に勤めていた人が期間限定で英語をやるとかなら、超受けてみたくなる

 

つまり、英語ができる人そのものは、多分いっぱいいるのだ。問題は、その人たちのノウハウを、子どもたちが学ぶ機会がなさすぎることだと言える。

 

ってことで、ある程度の資格と期間を設けて、短期で民間の方々に『英語の教員募集』とかができたら面白いのではなかろうかと、時々考えてしまう。

 

英語の授業以外にも、教員にはすることが山積なのだ。そこくらいのアウトソーシングが認められる価値観には、僕が生きている間にシフトするだろうか。

 

終わりに。

 

ここからは自論。

 

もし英語教育が、もっと使えるモノ、実用的なモノに変わるのなら、受けられる今の子どもたちのことを僕は少し羨ましく感じてしまう

 

そして、この感覚って大事だなと。

 

『良かった~、あの頃の教育システムの間に勝ち逃げしといて~』と思ってしまうなんて、なんか寂しい話である。

 

進化した教育を受けた世代が、10年もすれば社会に出てくる。自助努力を怠れば、重ねた素養が劣る僕らは、あっという間に淘汰されるだろう。

 

教育がダウンスケールを繰り返したらマジで終わりだ。教える方としてはしんどそうだが、受ける方としては結構な好機である。

 

―だが、それを実施する体力については本当に不安だ。どうなるんだろうな・・ホント。

 

ま、その辺はこれからもつぶさに、知識をアップデートしつつ様子見したいと思います。

 

では今日はこの辺で。

 

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