精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

マイノリティに悩む生徒には、学校外の世界の存在を伝えたい。

集団とは残酷な面がある。そのグループのマジョリティにあたる価値観になじまない人間を、排斥するような行動に出ることがよくあるためだ。

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 簡単に言えばこれこそが『いじめ』なのだが・・。痛ましいことに、これはゼロになる気がしない。いつの世も、ダークトライアドな人間は存在するのだ。

 

そしてその解決策が、『我慢』か『援護』か『理解』に終始するのも、現在の学校教育の特徴な気がしている。

 

つまり、逃亡が許されていないのだ。だからこそ、思い詰められて、一番悲しい手を使って逃げる生徒が後を絶たないのだと僕は考えている。

 

―今の世の中、実は逃げ道だらけであり、学校以外の居場所など山ほどある。なんなら、それを自分で創ることさえできる

 

だがそれを、学校で教わることは、まず無い。僕はこの状況を本気で危惧している。いずれ大人になれば何でも笑い話なんて、呑気すぎる論理だ。

 

 だから僕は、ことあるごとにつけて、生徒には『外の世界』の話をしている。つまり、もし自分が追い詰められても、逃げ道はあるんだぞ、と。

 

今日はそれをテーマに語りたい。

 

 

マイノリティが汚点の世界と美点の世界。

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『価値観』というのは、実は非常に不思議である。何故かというと、人間に絶対普遍的なものとして見えるが、環境が変わればゴロッと変わるからだ。

 

 例えば、日本では交際を一人のパートナーに絞らねばならないという『価値観』がある。それを破ろうものなら、社会的な制裁を食らうほどだ。

 

だがアフリカ等の民族では、一夫多妻制が当然のこととして認知されている。こうなると、パートナーを絞る方が『マイノリティ』である。

 

―こう考えれば、『少数派であること』が理由で辛い目に遭うのだとしたら、原因はそういうことをするカスがいることより、もっとわかり易いところに潜んでいる

 

単に、属する組織が合っていないというだけだ。じゃあどうするか?そこから出て、違う組織に属せばいい。それだけだ。

 

正直、人は変わらない。人を変えようとするより、自分を変えた方が正解で、ラクで、早いし、成長できる。

 

―ってのがシンプルな理屈なのだが・・・。これは大抵、『論外だ!!』と一考さえしてもらえない。頭がおかしくなったのかというテンションで言われる。

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多分これは、子どもと親の世代間に衝突に他ならない。今の保護者世代が義務教育期間だった頃は、ギリギリネットが出てくるか来ないからへんである。

 

つまり、『コミュニティ』がぽこぽこと出てくる土壌が存在しなかった頃だ。これは確かに、組織からはぐれることは落第と同義である。

 

とはいえその時代にも、『ヤンキー』や『暴走族』という、マイノリティが集まって独自の価値観・信念を共有する実例があったワケだ。

 

つまり、自分に合わない集団から敢えて離れて、新しい文化を構築していく現象なんて、未知の事象でもなんでもない

 

『逃げ』と形容するから一歩が出ないというのがあるかもしれない。自分を認めてくれない組織から出るというのは、やってること自体『転職』と全く同じである。

 

多分、心理的なバリアがデカいのだろう。例えば、受験を経て入った学校が性に合わない。しかし、受験という期間を投資した手前、止めるわけには行かない、とか。

 

だが、受験という期間を投資したというためらいで、向こう数年以上を捨てるというのも変な話だ。

 

ここは非常にデリケートで根深い問題だが・・。

 

まあ極論、組織を脱しなくても別に良いのだ。自分を評価しない場はテキトーにいなし、面白い組織と時間に力を入れる。

 

ちなみに僕はその考え方であり、学校のシステムは相容れなかったが、モンハンのギルドのつながりはとても楽しかった。だからそっちにたくさんの時間を投下したっけ。

 

こういう風な生き方は、『無責任!』というより『自衛』に近いので、反射的に否定や反対をするのもどうかな、っていう重たいテーマである。 

 

『退路を断ったこと』が悪い方に作用したケース。

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『退路を断つこと』が当人にどう作用するかは、ぶっちゃけ個性による。だから当然、悪い方に作用しちゃう人もいるわけで。

 

僕はそのパターンだ。碇シンジのごとく『逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ・・』という責任感の果て、4ヶ月心をぶっ壊した時期が存在する

 

どうにもならないときは、逃げるしかない。逃げることが考えの中から完全に消えたとき・・・。人は【死】しか選べなくなる。

 

『諦めるな!立ち向かえ!甘えるな!』とばかりまくしたてて、苦しみの一切を無視するような励まし。僕はこれが大嫌いなので、生徒にも誰にも言わない。

 

あの頃のことは本当に思い出せない。頑張って逃げずに立ち向かった結果、逃げることの大事さを学ぶとか、皮肉以外の何物でもない話だぜ。

 

終わりに。

 

こういうテーマを書いたということは、こういうテーマを考えなければならないような出来事があったということだ。この仕事のタフなところだぜ。

 

『困難から逃げるな!!』という人はいっぱいいるので、僕は『いや、頼むから逃げてくれ』と言う人間でありたい。

 

無責任ではなく事実として、確実にあなたの持つ汚点とされる部分が価値を持つコミュニティは存在するのだ。

 

視野は広く持ち続けたいものである。

 

では今日はこの辺で。

 

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