以前こんな記事を書いた。内容としては、小説を読むことの実利的なお話って具合。
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メリットを言っちゃうと、小説に登場する豊かな感情の描写を脳内にストックすることで、自分のメンタルの様子を客観視し易くなる!
つまり、ストレスに強くなるぞ!!
というお話です。
言い換えれば、自分の抱えるイライラ、悲しみ、モヤモヤといったものが、言葉で定義できるようになるということ。
全てを『やばい』で片付けるより、遥かに健やかなのはご納得と思う。そしてこれ、やってみると結構楽しい。
今日はそんな独り言を書いてみます。
例えば今、実はめっちゃくちゃイライラしている。(勿論生徒にではない)
理由は、さんざ既読スルーされた案件を、『対応が遅い』と言われたためだ。なんかこう・・心の奥底で火山が噴火しそうであった。
ストレスはちゃんと消化しておかねば、弱いところから噴出する。その弱いところとは、僕であれば対生徒である。子どもに八つ当たりは、人として避けたい。
だから、自分の中に確かに存在する憤りを、小説っぽく描写して遊ぶことにした。
―『理不尽』の意味するところが身に染みて実感できる。成功させろと口では言いながらも、その実は僕に失敗してほしいのだろうかという猜疑心さえ込み上げてくる。
味方であることを表明しながらも、僕の臓腑にナイフを向けているかのようなふるまい。どうすれば良いのか、五里霧中。
―以前までであれば、言葉通り、これは自分の怠慢で、自分で自分を責めることに終始していたかもしれない。自分すらも自分の味方ではなくなるあの感覚。真の孤独。
だが今は、『怒り』という形で反発できている。ここは成長と考えても良いのかもしれない。しかし、呑気に自己肯定に終始している場合でもない。
何が足りなかったか?言葉の強さか?それとも、絶対に意見を纏めるという執念だろうか?―どちらかと言えば後半だろうな。
となれば次回打つ手は決まったも同然だ。『無視』を『同意』と取るような発言の仕方にすればいい。そうすれば、この条件下でも話が進む。
『怒り』を詳らかに分析すれば、自分にはしたたかさが足りないことがわかった。先天的に持って生まれていないのなら、後天的に習得すればいい。
家の本棚には、書物という心強い先生が大勢控えている。本はいつだって味方だ。強いメンターだ。帰ったら早速、読み直してみようっと。
―ってことで、稚拙な表現はさておき、やってみると結構楽しかった。
不思議なもので、今心はめっちゃ平穏であり、読み返すと気付くが、勝手に今後の行動にまで思考が行きついている。う~む、健全だ。
なるほど、僕は僕にしたたかさが足りないと思っているのか。目から鱗。面白い。
客観的な描写は、色んな不調に効くんですなぁ。何かに憑りつかれているくらい心がざわついているなら、いっそ小説にしてみてはどうでしょう。
では今日はこの辺で。