精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

僕が授業から離れる日は、決して遠くない。

塾講師の仕事は、意外と授業一辺倒ではない。もちろん、日によっては授業ばかりすることもあるが、実はそんな日は少数派だ。

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こういう状況になったのは、実はここ1・2年で顕著である。つまり、自分がプレイヤーであることが、会社から求められなくなっているということだ。

 

どちらかと言えば、在籍している学生講師のマネジメントや育成、その他イベントの達成に注力してほしい。そういう空気を感じている。

 

実際最近はそれらの準備に時間が割かれまくり、授業に対するアイデアとかブラッシュアップに、昔みたく1時間も2時間も取れないというのが実情なのである。

 

―そして僕自身、実はある条件下であれば、例え名指しされても今後はお断りしようと考えている授業がいくつかある。

 

もちろん授業が嫌いになったわけではなく、自分をシミュレーションゲームの手札の一つと置き換えて色々イメージした結果だ。ただ、言葉が強く、ちょっと驚きである。

 

今日は愚痴でも提案でもないガチの独り言だが、ここ最近胸の内で膨らんでいるもやもやを、ただひたすら言語化してみたいと思う。

 

まず、僕が置かれている立場を整理してみる。僕は今の仕事を始めてそろそろ5~6年なのだが、社員としての歴は一番浅く、つまり最若手(笑)となる。

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入社してしばらくは『授業の腕前』が求められた。だから研修も必死で予習したし、授業もかなり緊張感をもって行っていた。胃が痛くなったことも数知れない。

 

おかげでそれらについては、実績も出せているので、ある程度のクオリティは担保できているに違いない。自信とかじゃなく、事実としてそう思う。

 

―だがここ最近、ご家庭からの要望、自分のしたいこと、会社が求めること、そして過去からの引継ぎが衝突しまくり、僕が置かれている状況がカオスになっている

 

今でこそ授業の割り振りは僕が裁量を持たせてもらっているが、入社してすぐは他の人が担当しており、空き時間があればとりあえず僕というスタンスで仕事が来ていた。

 

当初は指名を受けるというそれだけで嬉しかったが、ありがたいことにそこからの継続や口コミが出ると、『僕であること』が条件になることが少しずつ増えたのだ。

 

これは逆に言えば、『僕がイヤと言えば続けない』ということで、イヤな言い方をすれば、『お前のイヤで会社の利益や信頼が損なわれる』と圧をかけられるということだ。

 

そしてその生徒の力量や数値だけを見ると・・・。申し訳ないが、僕でなければいけない理由を全然感じないのだ。

 

例えば、英検1級を持っていながら、英語が苦手な中1に手取り足取り教えるとか、よそから見れば滑稽に映るのではなかろうか。

 

そういう時は、僕以上に面倒見がよく愛想も良い学生講師に、マジでお願いしたいのだが・・。ウェットな関係と他のスタッフの目がそうさせてくれない。

 

それにより、結構な時間、拘束されてしまう。その間僕は、一人の生徒と向き合うことになるのだが、これって超もったいなくねぇか、と。

 

誰でもできる仕事に、自分が拘束される。結果、自分しかできない仕事が来ても、それを受けることができない。最近一番強く抱えるジレンマがこれだ。

 

自分が稼ぐ授業1コマの単価を見ると、鼻血が出そうになる。もっと色々上手くやる方法はあるし、もっと利益だって取りたいっす。

 

だから白状するが、この夏は休みなしで仕事しました。じゃないと時間が無かったんです。

 

―それとは別に、会社から『マネージャー』としての自覚(なんだそれという話だけど)とか仕事が求められており、最近はそれに忙殺されているところだ。

 

お分かりだろうが、あらゆる価値観と現実と理想がぶつかり合いまくり、僕は何であればいいのかが、どんどんと塗りつぶされていっている

 

ちなみに、僕はそういった任命されるイベントにあまり面白さを感じていない。従来の流れが決まり切っていて、思い切ったことをしようとしても一笑に付されるからだ。

 

そしてそれを押し通すほどの熱量もない。自分がやりたいと思って立ち上げるイベントってわけでもないからだ。

 

忘年会の幹事を、やる気をもって遂行するのが難しいのに似ている。

 

―ってところで愚痴を書き連ねたところで、自分が本当にしたいことが何なのかを正直に言います

 

僕はもっと自分を専門化させたいのだ。マルチであればあるほど、この世では誰かに取って代わられる可能性が高くなる。僕は突き抜けないといけない。

 

例えば、僕が持つコマは高校英語や英検2級~準1級、または大学受験に特化させ、それの個別なり集団なりというコースがあっても良いと思っている。

 

ぼそりと伝えたことは何度もあるが、『それは贅沢なことよ、まずはするべきことをしてから』と、やんわりと説かれた。

 

そのするべきことの意味が、誰でもできる仕事に僕を突っ込むことなのだが、何でそれは”贅沢じゃない”と言えるのか、理由をそろそろ教えてほしい。

 

・・人から求められる自分の最終形態は、断言するが『授業からの引退とマネジメントへの集中』である。

 

そしてこのままだと、その日は遠くないなと感じて仕方がない。このジレンマは、例え環境を変えても、業態が同じならいずれぶつかる壁だと思う。

 

結果を出せば多少ワガママが通るかと思っていたが、そんなことはなかった。仕事を頑張ったご褒美は仕事というのが続いている。

 

これを『辞めてやる!!!』と思う程の不満には感じていないが、『勿体なさともどかしさ』はずっとずっと感じている。

 

そして何かを提案する。すると、『それは贅沢なことよ、まずはするべきことをしてから』と返ってくる。そうして気付けば数年が経った。

 

―書いていて気付いたが、僕は僕が採用しているシステムや価値観、理念を、そろそろドラスティックに変える時期なんだろうな。

 

仕事は断っても良いとか、上司にはたまに反抗してもいいとか、自分と同じ考えの人で派閥みたいなものを作ってもいいとか。

 

下っ端の中で培った価値観は、下っ端の中だけで通じるものである。もう、卒業しないとな。僕はそろそろ、コラッタじゃなくてラッタを使わせてほしいのだ。

 

次年度の区切りは近い。そこで僕は、直接面談での説明の上で、もっと適任と思われる講師に僕の受け持っている生徒を割り振っていこうと考えている

 

そして授業の依頼が来ても、責任や技量を冷静に考えて、本気で僕じゃないとダメというモノ以外は、何と言われようが『無理』の一言で他の人に頼む所存だ。

 

僕が僕でなくてもできる授業から離れる日は、決して遠くない。そして空いた時間で、もっと自分を専門化させたい。

 

『ニーズがないよ』と言われたこともある。だが、そもそも『そういう授業ができる人間がいますよ』ってことを誰も知らないのだ。ニーズもくそもない。

 

勉強そのものが苦手で悩んでいる生徒が多いのは認める。だが、そのために学生講師も多数在籍しているのだ。僕がやる意味は、それを考えてもマジで無い。

 

僕は今のところ、抱えている作業量はもちろんだが、本心と現実の折り合いについても、限界が近いのを感じている。

 

ストレスにさらされ続ければ、流石にじわじわと耐性が下がる。増えた酒量がその証拠だ。大人は楽しいが、めんどくさいことも増えるんだな、と。

 

爆発する前に手を打ちます。僕は30歳になる前に、20代から重ねてきた全てを、一旦清算する。そして、新しいものを積んでいく。

 

―ってことで、独り言だろうと、3000字も書けばだいぶ色んなことが落とし込めるというわけで。筆記開示マジさまさまである。

 

悩みごとが増えたときは、感情を排して減らす努力を。色んな本に書いてあるが、これって冷徹とかでもなく、必須なのかもしれない。

 

では今日はこの辺で。

 

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