『植松努』氏のTED講演の中に、凄く気になるセリフがある。
たくさん勉強しなければ、いい学校に行けなくて、いい会社に入れなくて大変だよって。
僕はあんまり成績良くないです。だから心配になって質問をしました。
「いい会社ってなんだろう?」って。
そしたら大人が教えてくれました。
安定していて楽をしてお金をもらえるのがいい会社だと言われました。
僕は納得できませんでした。なぜならば、勉強すればするほど、能力が身に付くはずです。
ところがせっかく身に付けたその能力を、なるべく使わないで楽をするために勉強するんだって言われたんです。
※4:30くらいの部分です
・・・この話は『夢』についてがテーマであり、僕はそれを潰す大人の功罪の方に目が向いてしまったのだが、トータルで一番心が惹かれたのはこのセリフである。
何故かというと、僕も数知れない生徒も、勉強をする理由について、同じ違和感を抱えていたからだ。そしてそれを、この人が言葉にしてくれた。そう感じるからである。
そしてこの後の話を聞いてむくむくと確信したのだが、多分みんなが一般論として思う勝ち組の人生は、下手すりゃそこまで面白くない。
これについて負け組だけど人生楽しい僕が、ちょこまかと書いてみたいと思う。
できないことができるようになる。それが原体験だったはずなのに。
勉強できるヤツが、非凡なラインに登り詰めるまでの原体験は、結構シンプルでかわいらしいことが多い。
例えば、得意ゆえ努力がストレートに報われるから夢中になったとか、単純に知らないことを学ぶと周りが褒めてくれたとか、好きな子と同じ学校にいくため、とか。
もちろん中には、クソ野郎と同じ学校に行くのはイヤとか、自分を一念発起で変えるためとか、少しドロッとした理由もあるが、最初の一歩は結構ピュアなことがままある。
―だが、それが拗れると、人はそのうち、『ステータス』や『肩書』そのもののために勉強をするようになる。
いい大学(謎)の学生であると言いたい。いい会社(謎)の社員であると言いたい。そして、それを自慢し、その肩書を毀損するような価値観や人間を否定する。
『俺は〇〇大学を出たんだけど、お前は?』というマウントを取り、肩書についてきた人にチヤホヤされて喜ぶ。
肩書さえ手に入れてしまえば、面倒で大変な努力なんてしないに限る。仕事は適当に、単位もラクに。
―まぁ、こういう面倒な人はスルーしとけば良いので存在するのはご勝手にという話なのだが、勉強する動機は大抵ここに行きつくってのは問題かなと。
もっと言えば、いい会社(謎)に行くためにいい大学(謎)に行く必要があるから、勉強を頑張るという論法が、かんなりダウトなのだ。いつの時代の話をしてんだと。
今の世で、楽してお金をもらえればそれでいいって人だらけの組織は、そのうち潰れる。グローバル資本主義ってのはそういうことなのである。
つまり安定とラクを求めて会社を選べば、そういう人たちがそこを泥船に変えてしまうということだ。なんていう皮肉でしょう。
最近は面談とかをしていても、その有名大・大企業信奉は滅多に見られなくなったが・・。
この講演動画でも出てくる『バカなことしてないで勉強』というセリフを、悲しいかな、面と向かって言ってしまうところはまだまだある。
僕はバカなガキだったので、その言葉の意味を理解できず無視していたのだが、賢いヤツや繊細な生徒は、結果『大人ウケする夢や大義』を選び取るようになるものだ。
―それに関連する、もう一つの印象的なシーンがある。この植松氏が、大人(先生)に夢を否定されたというくだりがあるのだが・・・。
そこで涙ぐんでいるのだ。恐らく、相当に辛い記憶としてこびりついているのだろう。言った相手は多分忘れているのに、だ。
そういう意味でも、夢を奪うという大人の功罪は、常々意識しなければ絶対にならないのだと身が引き締められてしまう。
僕は最近、勝ち組アピールする人が好きです。
こっからは少し余談だが、僕は最近、性格が悪くなってきている。会話のやり取りで『こいつには嫌われてもいいや』という選択が取れるようになったからだ。
例えば、『やたらと勝ち組アピールをしてくるタイプ』がそれに当たる。一流企業にいるとか、彼氏・彼女がいるとか。そういう"肩書"でしか自分を語れない人たち。
大抵は印籠を見せられた悪人の如くひれ伏すか、『すっごーい(棒)』とチヤホヤするかしかないのだが・・・。僕はあえて、質問しまくるようにしている。
『大学で何学んだん?』『彼女が居て楽しい?』『へー、どの辺が?』『今具体的にどんな仕事してんの?』『最近何か達成した?』『ハマってんの何?』
てな感じ。僕は、『肩書を強調するヤツの人間的な魅力ってどんなもんかいのう』ってのを知りたいだけなんですけどね。
不思議なもので、自慢以外面白くないケースが多いんです。自分で自分を大きく見せる人たちは、素の部分がそこまで面白くないのだ。
もっと言えば、話がつまらない。自覚があるのか、ことあるごとに話のテーマを自分の得意分野へ戻そうとする様子は、見てて面白いんですけどね。
―こいつらは人生楽しいのかな?肩書に振り回されて、主体性が無い状況で、楽しいって言えるのかな?そんな疑問が浮かんでくる。
まあ極論他人なのでどうでもいいのだが、勉強することの意義を学歴や職歴でしか語れなければ、生徒をそっちに導いてしまうこともある。それはどうでもよくない。
自分のコトバがそこまで力があるのかは疑問だが、ネガティブな言葉はそういうのが簡単に宿る。マジで気を付けよう。そうしよう。
終わりに。
最初に紹介した動画講演で強く説かれていたのは、子どもが語る夢を潰さないこと、曲げないことだ。『そんなの当然だろ』という方には、次のステップを推す。
それは、話を進めることだ。
例えば、『おっきくなったらヒーローになる!』と言われたとき、『お前が目指すヒーローって誰?』と聞くような感じだ。
人を救うのか、悪人を成敗するのか。アンパンマンなのかウルトラマンなのか。(例えが古い)
こんな風に、夢を具体的な方にコーチングしながら導いてくれる人ばかりなら、世の中が平和になる。本気でそう説いていた。
こういうやり取りができるようになるには、意識付けと自分にストレスを溜めないことの2本の柱が大切である。自分のマネジメントもしっかりしないとなー。
ってことでやや取りとめはなくなったが、結局言いたいことはこの動画超素晴らしいからぜひ観てくださいと、つまりはそういうことである。
では今日はこの辺で。