最近、授業について輝かしい実績を修めている人と直接話す機会があった。簡単に言えば、コンテストに上位入賞を果たしまくっているような人たち。
超絶授業が上手い人は、その土俵で輝く姿しか見たことが無いので、これは人となりをじっくり観察するいいチャンスだと思った。(授業の方は昔まとめておりんす)
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ってことでお酒の力を借りて人見知りをねじ伏せつつ、色々と観察したら、その人間性にも共通点を窺い知ることができた。
パクることができる部分も、あったりなかったり。そんな話を、今日はこっからしたためる。
全体をしっかりと見ている。
授業が凄いとされる人は、全体をしっかりと俯瞰できている印象だ。
例えば僕と同じテーブルにいた人も、話に入り切れていない人にも話題を振っていたし、同意を得られていないと察したら、すかさず解説を入れていた。
説明が上手いのは当たり前なのだが、全体を見てバランスを取っていく能力が非常に高い。天性のモノの気もするが、僕も意識しようと思った要素である。
一つの物事を数通りで説明ができる。
職業病なのかもしれないが、話の特徴として、同じテーマをいろんな角度から説明しているというのがあった。
その方々は他県から来ていたのだが、そこについて、地理的特徴、教育のシステムなど、色んな目線からそれを解説していたのだ。
これはある種の【アクティブラーニング】的な記憶法なので、非常に理に適っている。何というか、インプットの時点で心掛けが違うのだろうと思わされた場面である。
「たとえ」が豊富。
これも職業病だろうが、やはりボキャブラリーが非常に豊富で、たとえ一つとっても非常に面白く、「確かに!」というのが多かった。
どうやったらそれを閃くことができるようになるのかは、僕だって知りたい話なのだが・・・。一つだけ心当たりがあった。
話の作り、展開、オチの取り方が、非常にお笑い芸人のそれに近かったのだ。
確認は取ってないが、多分お笑い番組かラジオを、様々な媒体でじっくりとチェックしているのではなかろうか。
「素」がお喋りとは限らない。
指導力が半端ない人の中には、喋ることそのものが好きなんだなと感じる人もいたが、どちらかと言えば、他人の話をふんふんと聞くタイプの方がちょっとだけ多かった。
ひな壇で前へ前へとガンガン出続ける人は案外少なく、一歩引いているというか、ガツガツと自己発信することは稀。そんな印象だ。
何と言うか、自分が伝えたいことがあってブワーっと話すというより、人の悩みを聞いてから話すことを決めているという意識を感じた。
それかそもそも、僕みたいに性根は人見知りなのかもしれない。
過去何度も、素はめっちゃ人見知りなのに、授業となれば人格レベルで変わる人を何人も見た。千年アイテムの中の人くらい豹変するのも珍しくない。
だからといって、普段はひっそりしようとかクソみたいな帰結にはならないが・・・
人見知りだから講師になれないという思い込みは反例だらけというのは、面白い実例ではなかろうか。
まとめ。
ってことで乱暴にまとめよう。
広い視野で全体を見て、例え話を交えながら適切に話を振り、説明を組み立て、状況に応じて複数の解説を行う。
ってところかな、と。しかもこれ、授業をしていない時間のお話だ。職業病というか、もはや習慣レベルに刷り込まれているのだろう。
それくらいの覚悟と意識って言ったら重たいが、授業をしていなくてもどこまでそれを無意識化で実践できるか。
講師や教師という仕事が好きならば、心掛けてみてはどうだろうか。
では今日はこの辺で。