最近自分の手帳を見返しながら、ある違和感に気が付いた。だが、上手く言葉に出来ない。だからそれが何なのか少し考えてみたが、理由は非常に単純だった。
ここ最近の自分の1日に、授業準備の時間が無いからであった。
例えば今日は、レギュラーの授業の予定以外だと、塾のブログ(これじゃないです)を書くこと、ご家庭へのフォローTEL、資料の校閲などでパンパンであった。
ちなみに僕は毎日4時間以上授業があるのだが、残りの業務時間は最近、イベントの企画だのご家庭との面談だの、バイト講師の割り振りだのに全て持っていかれている。
つまり、本来の売り物であるはずの授業について、貯金の切り崩し状態が続いているのだ。
だからこないだ、その胸の内を記事にしたという裏話。
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有難いことに、生徒はまだ僕がプレイヤーであることを望んでいる。だが組織は、僕が運営に回ることを望んでいる。
仕事以外の時間を使い、授業のネタを探す作業こそ無意識に行っているが、それを直前までこねくり回す時間が無い。
そして悟りつつあることが一点。恐らく、僕は講師としての僕のピークを終えつつある。
というより、ただの一講師であることを許されなくなる時期に差し掛かっている。今日はそんなお話である。
僕は今、下っ端であることと管理者であることがせめぎ合い、キャパオーバーの寸前でギリギリ踏みとどまっている状態である。
多分この働き方をもう1ヶ月したら、どっかがぶっ壊れるくらいキリキリなのだが、そういう状況を見るにつけ人から言われることがある。
『もっと人に依頼すればいい』
・・・・・。
これはかなりダウトだ。僕が抱える仕事の内、人に振れるものは、皮肉なものだが授業しかない。
今でもこの仕事で一番楽しいのは、授業とそれの準備をしているあの時間なのだ。ロクに準備にすら時間が割けない今、そのものまで奪われた暁には・・・。
僕がこの仕事を続ける理由すらなくなってしまう。僕が個人のブランドを創り、維持するためには、授業こそが一番の手段なのに。もどかしいぜ。
・・少し思い出話に立ち返ってみよう。
1年目は授業のストックもなく、研修や生徒から受け取るフィードバックも辛らつだった。だがそれでも、繰り返すうちに慣れてきて、楽しさもそこに見いだせたものだ。
やってて面白いから、準備に時間を割く。すると、クオリティが上がる。その好ループ段階に行けたのは、2年目のことであった。
とはいえ、2年目になっても、未経験の部分は数多く残る。新しく小学国語を持ち始めたのもこの頃で、やはり結構キリキリ舞いな日々は続いた。
―大抵のことを2~3周し、結構なことに既視感ができたのは大体2年前くらい。つまり講師歴3年目である。
そこからは、新しいアイデアを試しては次につなげる段階になる。ようやくオリジナリティを求めても良いステージに来たと言うべきか。
そして僕が採用したのは、科学的に効果が高い学習法を授業に持ち込むという方法である。メモリーツリーとか、そういうの。
・・・しかし、それのある程度の知見が溜まった段階で、僕が授業に使える時間は皮肉なことに段々と減るようになっていった。
断言するが、僕ができない仕事は、今の組織において、専門科目の授業以外には無い。これが何を意味するか?
僕はみんなの代替手段でもあるということだ。僕が忙しいときに誰かが暇なことはあるが、逆はここ最近ねぇな、と。
―僕は行動が遅いとよく言われる。言われるたびに、実はこっそり無視している。
僕は結構色々やっているからだ。ただそれが、表面化していないだけ。誰かの雑用を終えたとき、評価は全て振った人のものになる。不思議ですけど。
僕はまだまだ指導する側でありたいが、そのワガママ(変)を通すためには、管理者としての仕事を全て終わらせておかねばならないポジションになってしまった。
それが終わる頃には僕自身に残るリソースは無い。体力も、自信も、気力も、だ。さっきも人事に関する爆弾が投下されて、面談が決まり、明日も多忙が確定した。
だから今は、僕でなくても色んな事が回るシステムを必死で組みなおそうと頭をねじり上げている最中だが、活路はすぐすぐに開けそうではない。
しかし現状、僕は講師としての僕のピークが終わりつつあるのを感じている。
能力が下がり始めれば、潔く道を譲るべきだと感じている。だが僕は授業を引退してまで、この仕事にしがみつく気はあんまりない。
順序が逆だ。授業がしたいからこの仕事を選んでいるに等しいのにな。やはり、今はある種のジレンマである。
色んな答えは30歳までには出したいと思う。直近で一番時間が取れるのは、年末年始。
完全に取り止めがないことを書いてしまったが、『教えること』が動機であるなら、教員や講師は果たして完全にそれを満たす仕事かなと、そう思った次第である。
では今日はこの辺で。