精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【小ネタ】『自分』というものは、好きなモノの中だけじゃなく、嫌いなモノにもヒントがある。

自分探しの旅というのがある。だが僕は、本当の自分なんてのが、例えばエジプトのスフィンクスあたりに落ちてるとは微塵も考えていない。

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就活の非じゃないレベルで己の内面を深堀して初めて、自分が言語化できていない"じぶん"というのが見えると考えている。

 

実際、僕が自分の感情に正直になれつつあるのは、20代頭で人生の暗黒期を体験したのがきっかけだ。

 

結果僕は、働くために生きたくはないし、主体性が無い時間が過半数となる仕事も全力で回避したいと強く思い、実際そのように行動している。

 

でも、好き好んでどん底に落ちたい超マゾは少数派だろう。『地獄を見てこい』とか、生徒に言ったら僕のSNSが大炎上間違いなし♡

 

だから今日は、見えるようで見えない『自分』を見つけるヒントを書いておく。それは『好きなモノ』と、なんと『嫌いなモノ』を見つめることでわかるのだ。

 

以下、つらつらと書いてみよう。

 

 

『自分』は消去法で見つけていこう。

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自分は何をしているときが楽しいかを考えろと、よく言われないだろうか。そこに自分を見つけるヒントがあるから、と。

 

―だが、それがそのままアイデンティティとして機能するのは稀だ。例えば僕は昼寝が好きだが、だからといって自分をカビゴンと形容はしないだろう。

 

釣りも好きだが、だからといって漁師を目指すのも極端だ。筋トレが好きだからと言って、ボディビルダーを目指したいわけでもない。

 

そんなワケで、好き"だけ"で自分を探していくのはハッキリと限界がある。そういうキラキラした部分だけで、実際僕は僕を説明できない。

 

だから必要なのが、自分が『嫌いなモノ』に関する自覚である。

 

イヤな話だが、特定の人を語る際、盛り上がるのは良いところの褒め合いより、悪口やイジりではなかろうか。それが真理なのである。イヤだけど。

 

―ってことで、試しに僕が嫌いなモノを列挙してみよう。

 

パシリ、チーズ、ふざけること、エロ描写が強い何か全て、早起き、数学、物理、化学、飲みの三次会、休日に仕事すること・・・・・

 

とかとか。なんかすげぇ幼稚だが、これが僕だからしゃーない。

 

すると、見えてくることがある。それは、自分が進むべきではない方向だ。

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例えば僕はチーズが大嫌いだ。なので、それを念頭に置けば『俺はもしかしたらピザ職人に向いてるかもしれない・・!』なんて可能性は一切考えなくてよくなる

 

こういう、自分にとってあり得ない選択肢を消していくのは非常に大切である。好きな方向に進むのも大事だが、進まない方をみないのも必要だ。

 

これについては、過去何度も紹介している【人生の勝算】という本に、『他人のモノサシを自分に当ててみる』という話で詳しく書いてある。

 

他人が理想とするもの、モチベーションとするもので、自分は頑張れるのかを試す。そうすれば、アイデンティティがクッキリと見えてくる。そんな話だった。

 

例えば、仕事を頑張って、偉くなり、モテたいんだという人がいるとしよう。それをみて、『俺はモテを原動力に頑張れるかな?』と考えてみるということだ。

 

僕の場合は、ハッキリと無理であった。ちなみに、大金持ち!!というのも、モチベーションには繋がっていない。

 

あれも違う、これも違う・・・という作業を繰り返しているとき、迷走してさえいなければ、自分の核には確実に近づいている

 

『精神年齢9歳』という僕の座右の銘も、10数年以上の紆余曲折の果てに出てきたフレーズだ。僕はもっと、自分が大人だと思っていたが、違いました。

 

もっと面白いことを探したいし、知らないことを知って喜びたい。今のところ、この原理に従って行動しているときが、いっちゃん楽しい。

 

やっぱ、好きを突き詰めるのと同時に、嫌を徹底して捨てるのも大切だな。

 

夢とか目標とか、理想の自分探しの迷子になっている方が居られたら、逆に『捨てるべき道』について助言差し上げてはいかがだろうか。

 

では今日はこの辺で。

 

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