たまに作文の指導もする。持論だが、作文が上手くなりたければ、書くんじゃなく模範をいっぱい読む方が早い。
理由は、自分でがむしゃらに書いても、経験値が足りなければ誤ったフォームで素振りを繰り返すような愚行に近くなるためだ。
そして、マズいことを書いているかいないか、自分で気付くことはかなり難しい。そういうクリティカルシンキングは、普段使わないからだ。
ってことでそれがどういうことか、出題したらなんと9割の生徒が答えられなかった難問(笑)を基にご紹介する。
Q 以下の文章は、【『敬語』についてどう思うか】をテーマに、とある中学生が書いた作文である。
この文にはある”大事なもの”が欠けているため、下手すると0点になってしまう。その”大事なもの”とは何か、答えなさい。
敬語は、大きく分けて「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3つに分かれます。
尊敬語とは、簡単に言えば動作を行う人を高める表現で、謙譲語は動作を受ける人を高める語です。
ちなみに丁寧語とは、動作をする、受ける関係なく、話の聞き手や文章の読み手に対する敬意とのことです。
例えば私が、「~でございます」と書いたならば、その敬意は「あなた」に向いている、ということです。
その起源は不明なところも多いですが、8世紀頃の日本で、すでに使われている事例が確認されることから、1000年以上の歴史を持つことは間違いないと思われます。
―さて、どうだろうか。
全然わからないというアナタのためにヒントを1つ。問題を読んでください。
では、解答をば。
で、
お前は敬語をどう思うねん?
そう、つまり、『どう思うか』を聞いているのに、その要素が無いからこれは下手すれば0点になる。そういう話なのだ。
これは無茶苦茶多いミスの一つで、語句の説明やグラフから読み取れる情報の列挙に終始し、最後まで自分の意見が出てこない作文は、結構読まされる。
こうなれば『採点しようがない』ので、得点は低く付けざるを得ないという悲しいお話が待っているのだ。
・・・だが、これを自分で発見するのを待つのも、絶対に時間の無駄だ。教えれば済むんだから、教えてしまえばいい。
自分で試行錯誤して文体を構築するなんて作業は、小説家を目指す生徒以外不要だとさえ思うほどだ。時間の無駄を肯定する講師には、僕はなりたくない。
ってことで、盲点は気付かせるより教えた方が早いですよという、怠け者からの提案でした。
では今日はこの辺で。