中学も高校も、僕は『内申点』というNot優等生殺しシステムに叩きのめされたというのは、何度もお伝えしたことだけれども。
特にボコボコにされたのは、いわゆる副教科である『音楽』『体育』『美術』の3つである。
多分これらの存在意義は、良く言えば『勉強が苦手な生徒のセーフティーネット!』なんだと思うが、正直真逆に作用する生徒の方が多い気がする。
つまり、勉強はできるけど体育はできません・・・といった生徒をバシバシ切っちゃうシステムだと思えてならないのだ。
今日はそんなコワイ話と、提案を軽く書いてみマス。
センスがある人が得をすべきで、センスが無い人が損をすべきではない。
まずは僕自身の原体験から。僕は『音楽』なんてのは、個人個人が趣味でやればいいことだし、才能が全てを決めるし、そもそも興味が無いと強く感じていた。
だからクソガキだった頃、先生に『人生において意味あるんすか?』と聞いてしまったことがあるのだ。当然成績は『2』である。^^
それは体育も同じ。野球部ではあったが運動が嫌いで、『体育』の授業なんてのは、運動ができない人間を公開処刑にする場だとしか考えていなかった。
当然成績は『2』か『3』であった。(中学生男子が大得意な保健分野も同様だった。色々抱えているので勉強してると気分悪くなっちゃうんです)
ただ、僕は絵を描くのが好きだったので、『美術』はちょっと頑張った。頑張ったというか、好きだからハマれただけって方が正確。
―しかし、意外と美術は絵を描くばっかりじゃなかった。彫刻刀でゴリゴリするのもあれば、切り絵でぺたぺたするのもあった。これらは興味が抱けず・・。
絵だけで学期が終わるものがあれば運よく『4』を取れることもあったが、やはりほとんどは『3』であった。ほとんど一切の恩恵に預かれなかったでごわす。
・・・『芸術』とは、今も思うが才能か熱意が無ければ、努力を傾けてもしゃーない分野である。英語の例文みたいに、誰でもピアノが弾けるわけじゃないのだ。
そもそも論として、僕は別に才能ある人がそれを武器に得をするのは全然構わないと感じている。僕だって得意なところばっか突き詰めた結果、今の仕事に就いてるし。
だけど、センスがなければ損をするっていう制度なのはおかしくないかな、と。そしてそれを入試の点に使うなんて!!
ちなみに僕は高校入学後すぐ、『書道』の出来が壊滅的に悪く、学年に2人しかいない『2』を付けて推薦の道が消えた・・と、担任に言われた。
よく考えてみてほしい。大学に入ってから全く関係のない『書道』で僕の人生の選択肢が一個消えたのだ。変じゃね?
もちろん、『頑張らなかったお前が悪いんだよ』と言われればそれまでだが、全部に熱意を注ぎ倒せるロボットみたいな人はこの世にいないと思うので、なんか矛盾。
やはりこのセンスが全てに当たる単元で『損』をするシステムは、不健全だとしか思えない。少なくとも僕みたいなカスにとっては。
ではどうすればいいんでしょう?
個人的には、5科目ができない生徒にも道を残すという意味であるなら、『音楽』『体育』『美術』の3つを残すことには賛成する。
だが、全分野で総合評価するなんてことは無しにするべきである。でないと、仮に絵しか描けない子は、彫刻や図画工作や縫物や切り絵で爆死するからだ。
もちろん未知の才能に出会うきっかけとして残すならそれはそれでいいのだが、例えば1年スパンで取り組んで、上位3つの作品の評価等で良いんじゃないでしょうか。
僕は彫刻や切り絵は興味が無いが、油絵や点描、墨絵や模写は面白かったのだ。そっちの点だけ付けてくれよ、と。
また、コンクールやクラブチームでの成績・実績によっては、学校でのそれを関係なく4とか5をあげるような救済措置があっても良いんじゃないでしょうか?
現行制度下だと、例えばアーチェリーなら全国大会レベルだが、他のスポーツ全部ダメというタイプの生徒は、多分通知表で2か3が付く。意味不明である。
それか、それぞれの補助デバイスによる単元も新たに追加してはどうだろうか。
歌は歌えなくても、初音ミクを使わせたらとんでもない才能を秘めているかもしれない。
彫刻ができなくても、3DCGを作らせたらピカイチかもしれない。
運動がからきしでも、それに伴う栄養学等の知識は群を抜いているかもしれない。
多分すぐに、『教師にそんなバッファはない!寝言は寝て言え』と言われるだろうが、もしそうなら『なんですぐ教師がするものだと決めるんですか?』と言いたくなる。
各種専門学校と提携を結ぶなりして、共存の道を考えた方が健全だと思うんですけどね。どうなんでしょ。
ってことで珍しく2000字程度も書き綴った愚痴でしたが、今日はこの辺で。