『なんで勉強しなきゃいけないの?』という質問に対する答えって、結構難しい。個人的な意見だが、答えは生徒によって変わるからだ。
『良い学校に行けるから』ってのもその一つ。『人からチクチク言われるのが減るから』っていうので頑張れる生徒も多い。『勉強できりゃモテる』ってのもそうだろう。
ちなみに僕が必死になって勉強に取り組んだ理由は、『環境を変えるため(意味深)』というのがモチベーションだったくらいなので、やはり答えは千差万別だと言える。
さてさて。話を少し戻すと、そもそもなぜ生徒は『なんで勉強しなきゃいけないの?』と僕らに言ってくるのか。
それはきっと、『将来何の役に立つのか?』という純粋な疑問から、である。ただこれは大人にはウザい質問らしいので、迂闊に言えば僕みたいに成績で2を付けられる。
ってことで、中学校も高校も大学も終えた今、そこで学んだこととして、役立っていると思うことに想いを馳せてみようと思う。
ただ、塾講師という立場を考えればもちろん『全て』になるので、そこは割り切って考えるとする。
全力で考えた結果・・。
直接的となれば・・・無いかもしれねー。強いて言えば『英語』、特に『中3までの文法』だが、外国人と接しないのであれば無用っちゃ無用。
『義務教育』として学んだ『国語』で得たことより、自分が読みたいと思った本の読書の方が、比べるまでもなく役に立っている気がする。
二次関数や三次関数なんかも、それを使った結果をググった方が早い。歴史も正直、奈良時代の政治史より、平成初期のアニメ史を語れた方がウケるんだよねー。
てなわけで、やっぱ直接的にそのまま生活に役立てることのできる科目って、義務教育下では存在しないのかもしれない。
当事者にとってはむっちゃ腹立つ答えが出たように思える。ただしそれは、表面上のお話。
―けれど、しっかり役に立ってますよ。
主要五科目の学習は、その単元の習得が全てという話では無い。それを題材として、色々な観点・思考法を養うのが主たる狙いである。勝手にそう考えている。
例えば、家を同時に出ない兄弟の話を解いたところで給料は増えないが、状況を数字に置き換えて別目線で考えるという思考プロセスとなれば話は別である。
国語も、時間が無いときに要点だけパッパと掴んでいくという、読解問題で鍛えられる技術の方は、今でもよく使わせていただいておるわけで。
―そう考えれば、非常に有意義なのは各科目で得られる知識そのものというよりも、やっぱプロセスの方だなと思えて仕方がない。
ぶっちゃけ各科目の成績が高くても、実社会での恩恵となれば、ちょっとチヤホヤされるとか少しマウントが取りやすいとか、そんぐらいじゃねーかなと。
一時期は、将来楽して金を貰うため、今必死で勉強しときなさいという面白すぎる矛盾が闊歩していたものだが・・・・。
その前提が完全に崩れ去った昨今、五科目そのものだけを頑張ることに価値があるかと言われれば、やはり眉唾。
ということで、得られる知識はさておき、それで鍛えられる観点や思考をグリグリとチェンジできるって能力は、非常に役立ちますよという結びでどうでしょう。
尚、科目そのものをまんま直接活かしたいのなら、僕は経済学かプログラミングだと思います。
では今日はこの辺で。